この前の休日に永年の友人と温泉に行って来ました。
JRで、名古屋から豊橋まで行き、豊橋からJR飯田線で1時間位の昭和レトロ漂う温泉地。
のどかな懐かしい田園風景が広がる町『湯谷温泉』に行って来ました。
JR飯田線と言うのは知る人ぞ知る、、鉄道ファンにはたまらない、人気の路線だそうです。
本当にのんびりした田舎の温泉地です(笑)
一緒に行ったのは、中学時代からの親友Mちゃん…
彼女とは本当に永い付き合いになります。
友人の中で一番好きな人です。心から、気が許せる親友です。
日ごろ、二人共、仕事をしているので、日ごろの疲れをとるために、温泉に24時間入りたいだけ入るってプランにしました。
二人で貸し切り風呂にも入って、色々な話をしました。やっぱり健康の話は欠かせない。そして、子供や旦那さんの話もしました。
彼女には、他の友人に話せないことを何でも話せます。おしゃべりじゃない彼女もまた、、私に他の友人には話せない話をしてくれます。お互いに硬い絆があります。
私には、必要な親友なんです…
Mちゃんは独身時代から金融関係の仕事をしています。子育て、家事をしながらバリバリ仕事をしています。
お仕事はめちゃめちゃ大変です。年齢も年齢なので、部下もいます。
私の仕事なんか比べものになりません…
本当に、スーパーウーマンじゃないかと思います。
お互いに子育ても、一段落で、、やっと自分の時間ができたので、、かねてから、行きたかったおばちゃん二人の温泉旅行です。
Mちゃんと私は、性格はまるで真逆…
冷静沈着で懐が深いMちゃんとおしゃべりで喜怒哀楽が激しい私、、本当にどうして気が合うんだろう(笑)
趣味も全く違います。
しかし、なぜか一緒にいて居心地がよいのです。
ほっこりします…
不思議なんですが…
しかも、Mちゃんは、実家のご両親が、病気を抱えてて、週末は、親の病院通いにも付き合っています。
仕事をしながら、実家の有りとあらゆる用事もこなしています。
多分、自分だけの時間ってなかなか作れないだろうって思います。
そんな中でやりくりしてくれての温泉旅行です。
Mちゃん、ありがとう!!
大好きだよ〜〜!!
★『湯谷温泉』近くにある『鳳来寺』は大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、寺田心君演じる虎松(のちの井伊直政)が隠れていたお寺です。
★大人になってからは菅田将暉君が演じています。
虎松は今川から命を狙われ、奥山六左衛門に付き添われて逃亡することになりました。
父の井伊直親も、今川に命を狙われ南信濃の松源寺に隠れ住んでた過去がありますから、2代続けて命を狙われるなんて、なんとも不幸な親子です。
その虎松(のちの井伊直政)が預けられた寺が、奥三河にある鳳来寺。
徳川四天王・井伊直政(虎松)が幼少期の6年間を過ごしたお寺で有名になりました。
残念ながら、今回は『鳳来寺』まで、足をのばす時間がありませんでしたので、
写真は、引用しました。
大河ドラマのファンの人の姿もちらほら…
【以下引用】
2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、ただひとり残された姫が、男の名で家督を継ぎ、戦乱の世を生き抜いた井伊直虎の物語。
直虎は、亡き許嫁の子・虎松を立派な世継ぎに育てあげると誓い、今川氏真に命を狙われていた虎松を14歳まで南渓和尚のもとで保護することにしました。それが、新城市にある古刹・鳳来寺です。
直虎と南渓和尚の機転によって、なんとか生き延びることができた虎松は、徳川家康公に仕え、井伊直政として徳川四天王のひとりと称えられるまでになりました。
【井伊直虎(次郎法師)】
直虎は遠州井伊谷(浜松市北区)の領主井伊直盛のひとり娘として生まれました。
直盛のいとこ亀之丞を婿として迎える予定でしたが、謀反の疑いにより亀之丞は信州に身を隠すこととなりました。その消息を知らない直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師と名乗りました。後に亀之丞は井伊谷に帰郷しますが、出家した直虎との婚姻は叶いませんでした。
亀之丞は直盛の養子として直親と名乗り、家臣の娘を妻に迎えました。桶狭間の戦いで父直盛が戦死し、家督を継いだ直親も今川氏の家臣により討ち取られると、次郎法師から直虎と名を改め井伊谷城の城主となり、優れた政治手腕を発揮しました。
しかし、井伊領の実権が小野但馬守に移ると、直虎は直親の子、虎松(後の直政)と共に命を狙われる立場となってしまいました。
【虎松と鳳来寺】
命を狙われた直虎と虎松は、城を出て龍潭寺に身を寄せました。
しかし、龍潭寺にも危険が及んでいることを察した直虎は、南渓和尚の進言もあり虎松を鳳来寺に預けることを決意しました。鳳来寺は、古くから「殺生禁断の地」として知られており、平安末期には源頼朝が3年間匿われた場所でもあります。
こうして8歳から14歳まで鳳来寺で過ごした虎松は、寺の僧侶達によって武将として必要な教養を学びました。
【直政の活躍】
15歳になった虎松は、徳川家康に仕官し万千代と名を改めました。武田討伐の戦いで頭角を現し、直政と名を改め、徳川家では異例の出世を遂げます。
勇猛で知られた武田武士団を「井伊の赤備え」として従え、徳川四天王のひとりとして活躍しました。
関ヶ原の戦いでの功績を認められた直政は、家康から佐和山城18万石を拝領し、彦根藩の基礎を築きました。
井伊家は江戸幕府譜代として栄え、幕末には大老井伊直弼を輩出します。
【井伊谷三人衆と戦い】
井伊谷三人衆は、いずれも新城、奥三河地域の城主で井伊家の家臣です。徳川家康の遠州侵攻の際、徳川方の家臣となり、宇利から陣座峠を下り遠州までの道案内を引き受けました。
このことを契機として、井伊家は今川氏から徳川氏の家臣となりました。天正3年(1575年)に井伊直政が徳川家康に仕えることとなると、井伊家の重臣として直政に仕え、様々な功績を残しました。
【三方原の戦い】
元亀3年(1572年)に遠江国敷知郡の三方原(浜松市北区三方原近辺)で繰り広げられた合戦が、徳川家康、織田信長らの連合軍(1万1千人)と武田信玄軍が激突し、徳川軍が大敗を喫した戦いとして知られています。
また、この前哨戦となった仏坂の戦いには井伊家も出陣し、井伊谷三人衆も活躍しました。古戦場近くにはこの戦いでの戦死者を弔うためにたてられた、ふろんぼ様が祀られています。
【長篠・設楽原の戦い】
天正3年(1575年)、三河国長篠城(新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康の連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦です。
3千丁ともいわれる火縄銃と馬防柵を駆使した織田・徳川連合軍が、戦国最強と恐れられた騎馬軍団を率いる武田軍を破った歴史的にも有名な戦いです。
また、陥落寸前の長篠城を岡崎まで命がけで援軍要請に赴き、壮絶な最期を遂げた鳥居強右衛門の逸話も残っています。
★今度はいつ二人旅ができるかな…
次回まで、どこに行きたいか考えておきますね…
お互い、身体に気をつけて
(美魔女にはなれないけど)
美意識は忘れないで、、頑張っていきましょう…
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