世の中に「ママ」と呼ばれる人たちがいる。
子育てをしているひと
とっくに子育てはおわったけど、まだずっとその名で呼ばれてるひと
スナックやバーなど、憩いの場を取り仕切るひと
世の中の「ママ」は、誰かにとって「ママ」なだけで
自分自身にとっては、ただの自分。
「”ママじゃない私” ポートレート」を、もう十年来の文系友人が始めたのを知ったのは、ほかでもないインターネット世界。(彼女とはほとんどあったことないんだけどね。ネットってすばらしいね)
おもしろいことはじめたな!と、ちょっと悔しい気持ちをもったよ。(笑)
初回の記事を読んだとき、思った。
女性がインタビューをされて、写真を撮られているはずなのに
ママじゃない自分自身を再発見して、鏡に映る自分や、だんなさんや子供から見た自分じゃない姿をみつける、ディスカバリー番組じゃないか!って。
ふつう、にちかい人たちの暮らしがとても好きで。
偉人や成功者じゃない人の話をききたいと、ずっと思っていた。
ずいぶん前に僕が「紙媒体」でやってたミニコミ「4050(しのごの)」
40代50代の普通の人の話をインタビューして写真を撮る。文章書いてデザインして印刷する。ひとりでやっていた。だから、続かなかった。5号で休刊。
いつかテキスト化したいものだ。
(ああ、また『いつか』がふえちゃった)
「”ママじゃない私” ポートレート」はスタッフがふたり。コレが重要なポイントじゃないかな?。
続けるのがきついとき、相棒がいるとがんばれる。
核が二人なら、ゆるぎないし、なにかあっても代打も頼みやすい。
この世界で最小のチームは、ふたり。
それは、男と女の「夫婦」というチームでもあることも。
妻が取材をされると聞いたとき、うれしかった~。
どうだい!こんなにすげえ女性がオレの妻なんだぜ!オレはこの人に認められたから結婚して今があるんだよ!って言えるような気がして。
そして今度は「ママじゃないぼく」が取材された。
これも嬉しかった。
どうだい!こんなおっさんでも話を聞きたいって言ってくれる人がいるんだぜ!君がだんなにした男は、まあまあいけてるかもよ!ってね。
よく
「ひとは、ひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく」っていわれる。
それってよくわかる。遠い空から見たらきっとそう見える。
でも
ひとは誰かからうまれ、誰かに育てられ、誰かと仲良くなり、誰かに腹が立ち、誰かの役に立ったり、誰かの足をひっぱったり。「誰か」のなかで生きていく。
だからこそ、「誰かにとっての自分」じゃない自分の存在をきちんと知っておくことができたらいいな。
「”ママじゃない私” ポートレート」
ここでは、ママじゃなく、インタビューされるだけの人でなく、写真をとられる人でない、ぼくの知らない普通の人たちのお話がよめる。
それは素敵なことじゃない?
きっとなんの伝説にもならない、ぼくたち。
だからこそ知っておきたいことがある。
図書館にならぶ偉人たちの歴史からこぼれた、ほとんどの人の輝き。
そのひとが「ママだったとき」の記憶。記録。
「”ママじゃない私” ポートレート」
「私の人生、私のもの」と、兄弟のような気持ちです。
あなたも、あなたのお友達でも、
自分にもみえない自分を、発見したくなったら、声かけてね。