夏ですね。盛夏ですね。
子どもと一緒の夏休み、毎日汗かいて過ごしています。
戦後70年の夏。
私が初めてあの戦争について知ったのは、小学1年生の平和授業。
校長先生が、「今年は戦後40年の節目です」って言ってました。
「40年ってけっこう最近やん!」と驚いて、すごく怖かったのを覚えています。
(ま、7才にして40年を“最近”と感じるのって、今考えたらどうかと思うが・・・笑)
その、私の「戦争の歴史を知った記念日」から、今年で30年経ったわけです。
ごめんね、自分中心に歴史をとらえて(^^;)
この30年、いろいろな事件や災害 があり、
・・・・そんなさらっとした一言じゃ語れないような大震災もありましたが・・・
とりあえず、戦争はせずに、こられました。
この30年で、私は学業を修め(修めたことにして)、大人になり、社会に出て働いて、結婚して、子どもを産みました。戦争にあわずに。やれやれ(←村上春樹ふうに読んでね)。
子どもにも、同じように、戦争のない世の中で育ってほしい、
戦争のない世の中で子どもを育ててほしいと思っていますが。
平和って、「戦争反対!」って唱えていれば実現するものじゃなくて、
「戦争反対!」という確固たるスタンスに立ったうえで、
戦争にならないように、戦争に近づかないように、
みんなが不朽不断の努力を続けていって、
初めて「戦争のない状態」を保てるんじゃないかと思います。
不朽不断の努力。なんていうと、横綱に昇進する力士の口上みたいですが・・・。
それは、原爆投下の日や、終戦の日、沖縄戦終結の日、郷土の大空襲の日などを、毎年思い出して、思いを馳せることでもあり。
語り部の声に耳を傾け、彼らが遺してゆく「声」を折々に取り上げることでもあり。
空襲や従軍の体験だけでなく、視線を前後に延ばしていくことも大事だと思ってます。
1945年8月15日が終戦ですが、もとをただせばこの戦争、1931年9月の満州事変から始 まっているのです。
「15年戦争」といわれるゆえんですね。
15年もあったのに、その間に、どうして、戦争をやめられなかったのでしょう?
南洋の島々で玉砕が相次ぐようになったのは終戦の約2年前。
本土への空襲が始まったのは、終戦の約1年前です。
そんな破局に至る前に、なぜ、引き返せなかったのか。
「大本営」=国にだまされていたから。
それだけでしょうか?
当時の日本は、すでに後進国ではありません。
メディアもマスコミも存在していました。
知識層も相当いたし、男子だけとはいえ普通選挙も行われていました。
確かに憲法も政治機構も国際情勢も異なりますが、現代に比べ民度 が甚だしく劣っていたとは思いません。
当時の人々だって、家族や友人を兵隊にとられたり、空襲で亡くしたりしたかったはずはありませんよね。
満州事変のあとも、
戦争を止めようとしたり、拡大させまいとした政治家や、
戦争反対を表明した文化人・・・などなど、たくさんいました。
それでも、あんなことになった。
破滅へと向かう流れを堰き止められなかったのです、10年以上も。
私はそれを思うときいつも慄然とします。
満州事変が起こっても(1931)
盧溝橋事件が起こっても(1937)
国家総動員法が制定されて東京オリンピックが中止になっても(1938)
ノモンハンで事実上の戦争が起こっても(1939)
真珠湾 攻撃で太平洋戦争に突入しても(1941)
だんだんと世の中がキナ臭くなり、暗くなり、生活が苦しくなっても(…というか、その前からずっと、国民の生活は苦しかったわけで)
まだ、本土の空襲や原爆や、そういった甚大な被害に国じゅうが遭うことは、ほとんどの人が想像し得なかったわけです。
現代から見ているから、「どこかで“このままいくとヤバイ”って気づけよ! 引き返せよ!」と思うわけで。
なぜ、引き返せずに、昭和20年までいってしまったのか・・・。
「戦争を避ける」ために、
その歴史を学び、考えることが大事なんじゃないのかなと、かねがね思っています。
3年前くらいです か、NHKで野村萬斎が演じた近衛文麿、かーなーりー、よかったですよ。
(って結局ミーハーかい)
もう5年以上Twitterをやっていて、200人以上をフォローしてるんですが、
8月6日や、9日や、15日には、「戦争と平和」に関連するツイートが多くて、ちょっと安心します。
みんな気持ちは同じですよね。きっと。
♪青い空は 青いままで 子どもらに伝えたい
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