僕らがニュースを仕入れるには、新聞/TVなどのマスメディア、雑誌、ネットニュース、SNS。多種多様。
どれも、それぞれの見解、含み、切り口があって「真実」ではない。
ニュースが真実を伝えないようになってきてる。
国境なき記者団が発表する「世界報道自由度ランキング」で、2015年に日本が順位を61位まで下げたことが大きく報じられたことと関係なくはない。
本当のことが言いづらい世の中。
この原因は、政治のせいばかりじゃない。
自分の意見と近いニュースをまとめて籠城し、違う意見や見方を攻撃する。無視するくらいならまだしも。理論武装という名のハリボテにこもり、ニュースを「盛って」拡散する。(僕も盛り癖があるからいかんのだけど)
極論対極論では、話は進まない。
イエスと言わないなら、ノーだ!
白か黒じゃ、戦うばかりだ。
意に反した報道には、電波を止める。
そんな恐ろしい世の中になろうとしてる。そのことを話すと「報道の自由って、なんでも言っていいってことじゃないよね」と、多くの人が言う。本当に周りの、多くの人が。びっくりするくらい、浸透してる。
「なんでも言っていい世の中はおかしいよね」
これは自分の意見と反対のことを言う人=おかしい人たち=他者=敵っていう方程式が蔓延してる。
行き過ぎた報道をする人たちもいる。でも、その人たちもいてもいい。
ニュースが真実を伝えられないから、フィクションで主張する。
「わたしを離さないで」というドラマがある。
見るひとが、少ないらしい。このドラマにはかなり露骨に「基本的人権」と「幸福の追求権」ってのが書かれてる。居心地の悪いドラマ。
TVドラマは時代の影響を受け、時代に影響を与える。大きく「白か黒か」で進んでいく世の中で、弱者排除の倫理観を問う。自分たちが生きる、暮らすということで消えていく誰かの夢や、失われる命のことを考える。
「そんなこと考えてたら、生きていけないよ」
そうかな?
そういう世界だということを知り、自分の幸せを追求することは反していない気がする。
自分で考えて、選択する。
選択したことに責任を持つ。
たったこれだけ。
原子力エネルギーも社会保障も少子化も、一見そうは見えなくても自分に関係ないことはほとんどない。
考えて、行動する。
行動に責任を持つ。
さらに言うなら、自分と反対の意見を持つ人を「認めない」にしても「そんな人がいることを認める」ことが大切なんじゃないかな?
作家が物語で伝えたいこと
「ちかえもん」というドラマがあった。時代の中で、心中しか手だてがなかった恋人たちのことを、人形浄瑠璃にした作家の話。
「自分の富や名声のために、若い二人の死を利用するなんて非道だ」と言われる。
でも、作家の仕事はそういうもんだ。うかばれなかった魂を書き記し、広める。こんな世の中おかしい!と主張するんじゃなくて、物語として残す。
もやもやとした雲に包まれて、薄暗い世の中になってきた。そこに灯をともすのは、もうフィクションしかないのかも。
全てがそんなドラマにならなくていい。
日々の疲れを笑いで癒すものもあっていい。カタルシスも。
でも、どうか、物語を創り出す人たちよ。
あなたの影響力を使ってください。
言えないことをまぶして、口当たりよく届けてください。
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