NYメトロポリタン美術館(MET)は陳列された世界中の美術品を「敬う」ための場所。
ファッションはアートか?
技術と情熱を注ぎ込んで作られる「服飾」は、オールドファッションな美術館のビッグネームからは軽く扱われている。
「あれはアートじゃない」
そんな中“プラダを着た悪魔”のモデル、ヴォーグ編集長アナ・ウィンター主催の「伝説のファッション・イベント《メットガラ》」が2015年5月2日が華やかに幕を開けた。
そう、外から見たら本当に華やかに。
ポップスターやイコンを並べたパーティ。セレブ、セレブ。一流メゾンの鮮やかなオートクチュールをまといレッドカーペットを闊歩する豪華セレブリティたち。
キラキラで美しい「夢の映画」を見るはずだったのに…。
途中からオエツを我慢するのが大変だった。
未来のために古いものを理解し、学ぼうとすることはノスタルジーではない
展覧会の美術監督として雇われた我らがウォン・カーウァイ。
自分の映画はことごとく締め切りをすっ飛ばすんだけど、このドキュメンタリーの中でのカーウァイは中国と西洋との橋渡しとしてめちゃくちゃ輝いていた。
中国人映画監督として「今までなかった中国映画」を作り上げてきた彼の扱うテーマは、たとえSFであっても一見ノスタルジックなものが多い。でも懐古主義ではなく新しいポップとして、多くの傑作(と、少しの駄作)を作り出してる。
中国側の「なぜ中国の現代アートが展覧会にピックアップされずに、大昔の美術品ばかりがテーマとして取り扱われるのか?」という質問に彼は
「古き良きものを壊し、学ばない今の中国には何もない。未来のために古いものを理解し、学ぼうとすることはノスタルジーではない」
と主張する。
そこらへんから、もう(なぜ?)号泣よ。
そうなんだ。
僕らは新しいものアレルギーか、もしくは古いものアレルギーのどちらかに陥りやすい。
でも古きものをなぞるだけでなく学ぼうとする姿勢からしか未来は生まれない。
日に日に僕らの国にはびこる「美しい日本・戦前回帰」の流れ。
おまけに映画館の外は街宣車のパレード。
青空の下で。
「メットガラ」は美術館の運営費の寄付を募るために開催されてる
ここが実は重要なポイントで。メトロポリタンミュージアムクラスの実績と名声のある美術館でも運営費を賄うのは大変なんだろう。
だから「客の呼べるテーマとベント」が必要で、必要だから「ファッションもアートとして認める」という現実的な理由もあるはず。
でも美術館の果たす役割は「懐古」だけじゃない。
僕らに新しいアイデアを産ませてくれるものは、過去の素晴らしい作品たちだし、実際に見たもの、触れたものからしかヒントはえらえない。
美術館は過去の陳列ケースだけでなく、未来の卵の栄養源になるべきだ。
そして「人種問題」についての言及。
今、国際社会の中で中国を扱うことの難しさも描かれている。映画で扱われた2015年に開催されたメットガラのテーマは「鏡の中の中国」だった。
決して「中国」ではない。
ファンタジーとして消化、昇華しなければ多くの人には伝わらないし、今まで西洋が私たち東洋に被せてきた「イメージ」をひっぺがすことはできない。
締め切りがあって、それに向かって最大限の努力をする。それは自分の夢のため
幾多の困難。前に進めば進むほど増えるトラブル。進まないスケジュール。
決断をすれば誤解され、交渉すれば期日は迫る。
そんな中「キレずに仕事をする」美術館のキュレーター、アンドリュー・ボルトン。
やりたくてやってる仕事だとはいえ、過去の成功を超えたいという野望があるとはいえ。
大きな壁を爆破するでも、迂回するでもなく、壁の前で話し続ける。
その姿は「今、大変な仕事をしてる人たち」に希望の光を届けると同時に、胃に穴が開くようなことは世界中で起こってるんだよと教えてくれる。
一方、主催のヴォーグ編集長アナ・ウィンターは法律だ。
彼女がオーケーなら、オーケー。ダメならダメ。
簡単だ。
そこに理由を説明する義務はない。
交渉も説明もしないのは、少しでも早く、到達するため。
ただ、鉄の仮面をかぶってないとやってられないだろうし、ある種のキャラクターに自分を合わせていく作業もあると思う。
家で娘のドレスアップした姿を見るときの穏やかに嬉しそうな顔が印象的。
服飾という「人が纏うための芸術」
感動的でオエツする(笑)理由の半分がこういう「人間模様」だけど、残りの半分は「服飾」そのもの。
ファッションには詳しくないけれど出てくるドレスの素晴らしさ。ため息と同時に涙がでる。
どうやったらこんなものが作れるのか。
デザインもそうだけど、レースや刺繍の美しさ。
服飾は人が纏うことのできる唯一のアートだと思う。
僕は少し前までハイファッションが理解できなかった。世界中に飢えて死ぬ子供がいるのに、クソみたいに高いオートクチュールを纏うなんて!とか思いながら。
実はそれは嘘で。
僕らには手の届かない「服」だったから憎んでいた(笑)
でもある時、それらが「芸術作品」に見えた。
ゴッホのひまわりと同じだ(笑)
手にれることはできなくても、誰かがそれを纏えばいい。
それをできれば生で見たい。
いつかは手に入れてみたいのは本音だけど。
映画は本当に素晴らしい出来だ。
エンドロールまで本当に楽しい。泣くとは思わなかったが。
そしてジャスティンビーバーのキラキラの存在感にちょっと救われる。涙が引っ込むくらい(笑)
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