こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
もうね、いやになった。
TVから、スマホから流れてくる、大量の怖いニュースと、それを興奮して伝えることばと。
もう、こころを閉じることしかできないよ。
事件には「加害者」と「被害者」がある。
これは交通人身事故と一緒。加害者に「悲がある」場合だけじゃなくと「事故」の可能性もあるし、加害者の周辺や法整備などの問題もある。
自損事故のように「被害者はいないけど、自分自身で事故を起こした」なんてこともある。最近のコカイン使用問題なんてのはまさにそれじゃないか?
子供が親に殺される。
ここには「狂った親が、子供殺してる」っていううすっぺらい表面と、見えない部分のいろいろが絡んでるはず。
なぜそうなったか?を考えるのはいい。
でもそれを声高にいう。責める。
それは違うんじゃないか?
責める快感に酔う姿。醜悪。
「子供の虐待」を朝のニュースで報道する意味は?
薬物依存になった大人の老いた父親ヘのインタビューは?
国民の多くが被害にあってる、加害者もいる原発事故や公文書偽造は報道されないのに?
羽鳥というアナウンサーがいうところの「TVは真実を伝えるものじゃなく、安心させるためにある」っていう意味からすると
「悪い人とあなたは違うから安心だ。良い私たちは悪い人を袋だたきにしょう」
それがスイッチをいれただけでお茶の間に蔓延する。
朝起きて、今日の天気を確認する人たちの目と耳から忍び込んで来て、その人の中枢を犯す。
おそろしいことだ。
怒りが消費されていく。
現実社会で怒りの声をあげられない人たちが、自分よりちょっと「立場の弱い人」に狂ったように怒りをぶつける。
ほんの数センチの上下関係で、怒りは一方的に下へ下へと向けられる。
どうして、自分が上だと思う?仮にそうだとしても上にい続けることができると信じてる?
どうして、自分や自分の家族に「虐待」や「薬物依存」やその他法律に違反する人がでないと思ってる?
どうして、ようやく悲しみから抜け出せたかもしれない人の気持ちになれない?
どうして、過去もしかしたら何かの罪と罰を受けた人がとなりで苦しんでるかもと思わない?
どうして、レイプされたことのある人や虐待された、した身内を持つ人がまわりにいないと思える?
政府や政治に対しては、何言ったっていいと思う。
それは、僕らが被害を被ることが想像できるから。
教育、経済、原子力、基地問題。どんどん発していいと思う。怒りを持つ必要はないけれど、考えを言うことはいいことと思う。
でも、誰かが(それは僕自身かもしれない)怒りに酔って発した「悪を懲らしめる一言」が、誰かをより攻撃的にさせたり、誰の過去の痛みを蘇らせたり、小さな怒りをたくさん産んでしまうということを想像したい。
顔を見合わせての話なら、まだ少しは違うのかもしれないけど。
TVは一方的に上から流れてくる。
TVは人をだます。
毎日毒を垂れ流してるTV。
それに反発するのも、「影響されてるってこと」かもと思うんだ。
不当なニュース、不当な裁判、やるせないニュース、悲しいニュース。悪人たち。
それがTVから、僕らに「怒りの火の粉」を投げつけてくる。
その火を正しく使えたらいいのだけれど、「不安」というガソリンをかけてどんどん燃やすことで、僕らは「心地よい怒りの爆発」方法として、周囲の立場の弱い人に向けてしまわないだろうか?
すばらしい映画や本、音楽や漫画やアートには「違ったものを許容する」とか「現実の厳しさを少し紙に包んで渡す」とかの役目があって、心がちくっとすることでふと「冷静に自分自身と向き合うチャンス」をくれるものだと思う。
思いたいけど、近頃はそれも
「よかった!感動した!」
のひとことで消費されて「自分の世界のことじゃない、空想の世界のこと」としてしまわれてしまうのかなぁ。
とにかくTVやスマホから流れ出す悪意に飲み込まれないで。不安をガソリンとして燃やさないで。
いま、この世界。
とても、こわい。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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