こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
台風と大雨で大荒れの夜、大名シャングリラで開催された「最高たち」で、高橋プランクトンのギターお供をしてきました。
シャングリラ。まだノスタルジアのサインがある。
懐かしいなぁ。
ただ、僕は不調で。
左の耳はほぼきこえないんだけど、右耳もつらかった。
ストレスによる聴神経のストライキが、いままさにおきていた。
プランクトンのギターが聞こえない。
正確にいうと、聞こえる時と、聞こえない時がある。
急に何も聞こえなくなる。僕は彼の指と体の揺れでなんとかリズムをつかまえた。
出来はいまいちだったかもしれない、聞こえないから確認のしようがない。
でもできることは100%やった。
- 高橋プランクトン
- 瀬戸口恵
- 深居優治
- 溝上純一
この日はもう、深居優治を目撃した、ただそれだけでいい日。
瀬戸口さんの変わらない歌への愛情。
10年前と比べて深く、深くなった愛情を感じたり、
溝上純一さんに「ああ。こういう音楽がみんなに必要とされてるんだなぁ」「イベントに必要なのはこういう人なんだ。僕ではない(笑)」という強い印象を持ったりはしたけれど。
上記の二人とも「音楽に向かって100%ストレートに愛情を向ける」ミュージシャンだ。
ま、高橋プランクトンもねじれてはいるけど「とどけ!」という思いがあるのは瀬戸口さん、溝上純一さんとおなじ。
でも深居優治はちがう。
孤独を共有しようとしてない。
歌を届けようとしていない。
そのことを「けしからん!」と思う人は聞かないほうがいいかも。
本当の自分を隠し通すフィルタリングと演劇性と
めちゃくちゃにうまいギター。
僕はギターを愛してるのでこういうギターを聞くと心が燃える。
整理され、個性を失うことで大衆性を見出し、ポピュラー音楽になっていた「音楽」のビートではない。
張り替えたばかりの弦のジャクジャクとした音は、彼自身を切り刻む。
歌を伝えたいとか、愛を伝えたいとかとは全く違う。
光から逃げる深海魚のような。でも暗闇に浮かぶ小さな泡が虹色に光ることを知ってる。
ナイフのような男、という言葉があって「触るもの皆傷つける」なんて使われ方をするけど、彼のナイフは自分の腹を刺すもの。生爪を剥がすもの。髪の毛を引っこ抜くもの。
人の裏側を見せるために、大きく開けた口から体を反転するような歌。
うるさくないのだ。
大きな音でも。
鮮明に届くのだ。
ささやいても。
彼はきっと自分の周りの水圧を変えてシェルターを作り、その中で「精神的散歩」をしてるのだ。
隔離病棟のようなものだ。
もう、圧倒的にねじれてるのでまっすぐに見える。
彼と、彼の周りの空間の境目がぼやけてくる。
回り続ける扇風機の音が大雨の音に聞こえる。
すさまじく美しい世界。
この香り、どこかで嗅いだことがある。
あ、東京ディスティニーランドの香りだ。
東京さんの名前を出してツイートしたら「東京ディスティニーランドさんは愛人です」とのお返事が来た。
ああそうか、触れ合っていたのか。
ああ、そうか。
外の雨は上がってるのに、雨の降りしきる彼の周り。
降って来た雨で水位はどんどんあがり、傘の下に隠れていても結局は溺れてしまう。
なんと美しい世界。
そして、絶望してるからこそ、極上に優しい。
三途の川をわたりそうなくらい優しい。
この優しくない世界ではとても生きづらいだろうと思う。
だから何重ににも「水でできた透明マント」を着てるのか。
そのマントを脱いでゆくストリップティーズが彼のライブかもしれん。
べったりと汗で張り付いた透明マント。
もうね、この文章を書いてるだけでなんだか気分がゆらぐ。
こんど9/7に八幡のデルソルでまた見れる。
僕にとっての表現ってのは、
自分の体にできたカサブタを、治る前にひっぺがして、体液をもらすようなことだ。
それを僕ができるかとか、やってるのか?っていうことじゃない。
僕の頭の中にある辞書にそう書いてるんだ。
深居優治くん、ありがとう。
表現に向かって歩くことを思い出したよ。
たった一人でぬかるみや山道や、舗装された道や、四つ角や、フナムシだらけのテトラポットを歩くことが必要だってことを。
広島はゴトウイズミさんがいるところ。
広島にはなにかあるのかもしれない。
ちがうな。
どの街にも化け物がいて、目に見えない「生爪はがし」をやってるんだ。背中を丸めて。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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