死んでしまうということが、わからない。ということ。
高校生1年生の夏休みに、親友がタクシーにはねられて死んだ。
きのうまでいた人がいなくなる。
そのことが理解できずに、淡々とした気持ちだった。
もうあえなくなるとか
もう笑えなくなるとか
そういうのって、しばらくしてからしか理解できなかった。
生きていても価値がないから死にたい。
そんなこと、ほとんど全員一度は思ったことあるんじゃないだろうか?
ただ、そんなことはしちゃいけないとかいう、あいまいで漠然とした理念?教え?みたいなものが染み込んでて死ななかったのかもしれない。単純に気が変わっただけかも。
友達に「殺して」と頼まれたら、どうする?
それがその子の願いなら、どうする?
自殺しようとした人を助けて恨まれることがあるという。
そのひとの願いを絶ったから。
生きていなきゃダメだとか
死んだらダメだとか
ダメダメダメダメダメダメダメばっかり。
死んだあとのことはわからない。
だから現実を回避する方法として「死」を選択する。
すごくよくわかる。
だって生きていたって、なんの意味もないように感じるもの。
あさごはんに毎朝感謝してるひとがいるだろうか?
目が覚めて、目の前にきのうとおなじ光景があることに感謝してるひとがいる?
この国で。
生きてることが日常だったら、生きてることに意味なんてないし、感じなくていいんだよ。
そして
意味のない毎日をすごすことに、意味を見出す必要なんてないんだよ。
生きていてもしかたがないからって、それを変えることはないんだよ。
10代のころは「死」がとてもセンチメンタルで
学校で誰か死んだら、泣いて、花が飾られて
みんなにとって特別な存在になれる
でも、すぐに忘れちゃう。
クラスメイトは恋したり、バンドやったり、万引きしたり。
そのひとの日常を過ごし始める。
今回のできごと(事件って呼びたくない)で、殺してしまった、殺してあげた男の子のことを思うと、胸が締め付けられる。
彼の優しさなのか分別のなさなのかはわからないけど
彼はもう恋したり、バンドやったり、万引きしたりの「日常」にもどるすべを失った。
きのうとは見える景色が変わってしまった。
悲しすぎる。
あなたは、友達から「殺してくれ」と頼まれたら
その人に死ぬほど恨まれても止める事ができますか?
僕にその勇気はあるだろううか。
ただ、
生きてると、一年一年年をとって、いままでできなかった楽しいことがあるよ。
こんな適当な人生だったとしても、まだまだ面白いことあるよ。
そんな風に見て感じてもらえるような人生を、生きてる人として送りたい。
学生の頃って、一番つまんないから。
とりあえず、いろんなものから逃げて、責任を取らず、正しくあろうとせず、おとなになるまで生きようよ。
あなたからみたら「生きていたってしかたない」と思うような人がいっぱい生きて、歩いているよ。
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