劇団晴好・稲光弥平物語をみて:演劇とは、一冊の本である。

先日の日曜日僕はとある劇団の旗揚げ公演、つまるところ第一回目の演目の公演を見に来ていた。
とは言ったものの僕が自発的に見に行こうとしたわけではなく両親に誘われてついて行ったというのが正しい。

さて、まずは謝罪。
仕事が忙しく5連続2時就寝6時起きを続けていたせいで、今日まで時間がかかってしまった。(完全に自分の責任)タイミングを逃してしまって申し訳ない。

 

ここからは先日の演劇の大まかな感想になる。

と、その前に、人には観点の違いというものがあることは大人の方々は重々承知していると思う。
まあつまりは何をメインにみるかということなのだが、大体の人はキャストそのものを見に来る人が多かったりするのではないだろうか。
(だからこそ強引にでも大根だろうがなんだろうがジャニーズやらアイドルを使って集客しようとするのだが。)

ただしこれはテレビの世界の話、今回見に行った劇団の劇はそういう別の何かに頼ったものではなかったことは保証しよう。

というわけで私は2つの観点から感想を綴るとしよう。
2つの観点とはすなわち、キャストと脚本。これらについて僕は僕なりの観点で感想を書いて行こうと思う。(これは何も演劇だけに当てはまることではない。例えばアニメとかなら、評価基準は「声優、脚本、作画」とかになるが、まあ大体同じだろう。

こう見えても昔は演劇大好き少年。
高校時代は脚本も手掛けたことのあるので主にストーリー性をかなり重要視する・・・・というわけではない。矛盾なく書くことは確かに大切だが、実際に起きたことの再現劇でなければぶっちゃけファンタジーに過ぎない。
中世のオペラ時代から収集つかなくなった物語に「突然神が登場して全部解決しました」なんていうデウス=エクス=マキナENDは存在するのだから、多少の矛盾については考察のスパイスとして楽しめばいいと思う。

さて、大分前置きが長くなってしまったが、ようやくここからが本編だ。

現在深夜2;30分。深夜テンションで書いているため、少し調子に乗ったりする部分もあるがそこは勘弁していただきたい。

 

と、ここで気づいたのだが、まだあらすじもそれを公演した劇団の説明もなにもしていなかった。
タイトルは「稲光弥平物語」

安政二年仲春、稲光弥平という大富豪は、隣町とを行き来する川が雨たびに増水し毎度住吉橋が壊れてしまうことを憂い、自分の懐から工事費を全額出して川の中央に土を盛り島を作り、川の流れを二分にすることで川の増水を防ぎ、住吉橋を洪水から守ったのだった(ここまで史実。)

町の人々はこの稲光弥平の功績を称え、「稲光弥平、洪水を憂い安政2年、中の島を築いた」という文面を石碑に掘ったのだが(そのまんまの内容とか言うな!!)
なぜかその石碑は中の島の地中深くに埋められてしまい、昭和5年に橋の工事のために中の島を掘り起こすまで一度も発見されることはなかったのだった。(これも事実。)

ではなぜ、石碑は島の中に埋めてしまわれたのか。もし、その石碑が埋められずに立ったままだったらどう世界は変わっていたのか。
それを舞台にしたのが、今回の「稲光弥平物語」である。
この物語を行う劇団の名は、劇団晴好。いわゆる地元密着型の劇団で、地元晴好(春吉区)の町おこしの一環として結成された劇団で、ほとんどが劇をすること自体が初めての人達である。
それ故にだろう、ほかの劇団にはあまり見受けられない、緩い自由さと温かさを持っている劇団である。

あらすじ;
稲光弥平が自分の功績を刻んだ石碑をなぜか川の中に埋めてしまった、という史実を元に、物語は自称歴女サークルの3人の女性がタイムスリップしてきた弥平さんと出会うところから始まる。 最初は弥平さんのことを映画の撮影だと勘違いしたりして会話がすれ違う彼らだったが、どうやら本当にタイムスリッパーであるようだと理解した3人は晴好に住む多種多様な人たちの力を借り、彼を元の時代に送り返す手段を探すのだった。

みたいな、話である(独断と偏見が混じっています、ほかにも多少の下ネタなども含まれていますが、僕は下ネタ部分はあまり好きではないのでカット!!!

まず、キャスト。そのなかでも特に気に入った人たちの紹介をさせていただきたい。
飛びぬけて上手い演技のメイン中のメイン。稲光弥平役の方は劇団員であり、何度も場数を踏んでいるだけあって非常に堂々とした立ち回りを見せていただいた。ただ一応この人自身は客演として劇団晴好に招かれた、という立ち位置のようなので紹介はこのくらいでいいだろう。

次におそらくメインヒロイン。稲光弥平物語とは言うが実質のメインキャラは彼女ではないだろうか。
作中では美穂役を演じられている方だが、なるほど一見どこにでもいるような女性に見えなくもないが、「普通の女性」を非日常的な「劇」という中で演じるのは困難であり、どこか作り物めいた、「普通を演じている女性」となってしまうことが多い演劇の中で、現実と演劇の境界をぎりぎりまで近づけた立役者。
演技が演技っぽくないというのは一種の技のため、すごいと思った。(完全な滅菌処理をした野菜は見栄えがいいが、実際食べるのは無農薬野菜のほうがいいみたいな表現でわかっていただけるだろうか。

次にたった一言二言しか発言しない超チョイ役であったが僕の心に強烈に残ったのが久野捜査課長という役の方だ。何がツボにはまったかというと、実を言えば私は警察関係の人と職業上かかわることが多く(敵対的な意味ではない)実際にこういう警察関係の人を良く目にするため、まんまじゃないか!!!と思ってしまった。

他にも、自称歴史と寝た女(ただし歴史には詳しくない)な3人組の一人であったり、晴好のことなら何でも知ってる町の生き字引ポジションの酒屋のエロ親父、などここに書いていたら朝までかかるくらいの面白い人たちばかりであった、

しかも驚くことに10名以上の劇なのに、全くキャラかぶりをせず、それぞれが強烈な個性を発揮しながらも個性の喧嘩なく僕の記憶に焼き付いたのだ。

haruyoshi_ura

というわけで総評して、個性豊かな役者人と、それをうまく生かしたキャラの設定は素晴らしかった。

 

次に脚本である。
王道で非常にわかりやすく進んでいくストーリーと、それに交えて、現代の社会の代表である美穂と過去の世界の代表である稲光弥平の絡みを介して彼女の心の問題を見つめなおし、解決へ向かわせる。そんな流れである。

筋道としては非常にわかりやすく、大きな矛盾もない。

多少気になる点はいくつかあったし、未解決の部分もいろいろ存在したが、人生だってそんなものだろう。人生の中で解明されるものは数あれど、それ以上にほとんどのものが未解決のまま進んでいく。演劇という人生の一部分だけできれいにまとまってしまっては、後味はすっきりだが、そこで終わってしまう。
これから先も彼らの人生は続いていく。その先で僕が気になる点や未解決の部分に焦点を当てるかも知ればないが、そこに僕ら観客の眼は届かない。
彼らの人生は彼らのものだ。彼ら以外の人が解決しないことをもやもやしても意味はない。

そんなところだろうか。

 

さて、そろそろ4時を超えたところでまとめに入ろうと思う。

演劇とはいったい何なのだろうか。
我らがウィキペディア先生はこう答えている。

演劇とは、主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマなどを、同じ場にいる観客に対しリアルタイムに提示する表現活動を言う。

なるほど、確かに間違っていない。100点の答案、模範解答だろう。

だが僕にはこれがどうしてもこの文章には足りないものがあると思う。

演劇とは、一冊の本である。
本とは即ちありえたかもしれないもう一つの人生である。

ある意味演劇というものは本を読み、本の行間に隠されていた著者や人物の思いを解釈しそれを表現することと言っても過言ではないだろう。

では演劇と本の違いは何だろう。
僕が思うに演劇と本の違いとは熱量の違いなのだ。

本は自らの手で取り、ページをめくりその世界に没頭し、本を自らの一部にする、心にため込む熱。いわば内側のベクトルの熱量。その熱量は主に自分自身を変える効果を発揮することが多い。

そして演劇とは、外に向ける熱量。そしてその彼らから放たれる太陽のごとき熱量は観客のみる世界そのものを現代から中世へ、地球から宇宙へ書き換えることさえあるだろう。

何が言いたいかと言えば、
演劇は意外と高尚なモノではなく、非常におススメできる人生の読書なのだ。

 

以上、私の独自の偏見と持論を織り交ぜた演劇の感想でした。





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