感情のままに、思いついたことを口にする。
自分が今、何を経験しているか、今まで何を経験してきたかをすっかりわすれ、気にも留めず。身振り手振りをまじえて、罪悪感や怒りや皮肉を言う。
そんな人間になりたくない。というより反省の意味をこめて、そんな人間から卒業したいなあ。
楽しいことがあったとき、同時に世界のどこかでは悲劇が繰り返されてることを考えてしまう。そして、「楽しんじゃいけないのかも」と思ったりする。
悲劇にとらわれてる。悲しみに祈りをささげてしまう。
喜びにささげるべき祈りさえ。
改めて言うまでもないだろうけど、これは個人の感想です。
大昔。まだ文明なんてものがなかったころ。
自分の周り以外で何が起こってるかなんてわからないし
知らない土地でのニュースやうわさなどは耳に入ることはなかった。
目に見えたものだけで生きてた。
- 空腹
- 雨の冷たさ
- 雷や噴火の恐ろしさ
- 満腹
- 性的快楽
そんなものだけを感じて生きていたかも。
生も死も、始まりと終わりに過ぎなかったのかも。
もしかしたら、花を美しいと思ったかもしれないし、あいつのダンスはキレキレだ!なんて思ったかも。
ある事柄が、ニュースとなって多くの人の心に入り込む。
ほんとは見えないはずの悲劇、体感しないはずの津波や地震を目の当たりにする。
僕は5年前のあの日以降、ショックで体調を悪くした。
なにも体感していないのに。勝手なことだ。
いろんな人が意見や怒りをぶちまける。そういう議論は人を興奮させる。思いも寄らぬ一言で、「意図せず誰かを傷つけて」しまう。
誰に責任があるとか
どんな利権が動いてるとか
NOをいうだけで何になるんだとか
そんな情報が、それこそ津波のようにやってくる。
知らなければよかった。
知るすべがなければよかった。
知りたくなかった。本当のことを言えば。
でもぼくらは知ってしまった。
言ってしまった言葉が取り返せないのと同じように、知ってしまったことからは逃れられない。
どうしよう。
どうすればいい?
あの日の後。
もってる現金をすべて寄付したり
チャリティーライブをやったり
それこそ熱に浮かされていたように。
自分に何かできるかのように。
自分にできることを一生懸命探した。
なにができた?悲しみが自分の中に深く広がっただけじゃないか。
ぼくらはちいさな灯りをともそう 暮らしの灯りが戻るその日まで
ほんとうに素直に、こんな歌を書いたけれど。それでどうなった?
知らないふりをする。
寄付をする。
忘れないように考える。
祈る。
なくなった方へ黙祷をささげる。
他の誰かのやり方は、その人の導き出した答えだ。
その人以外に、批判されるべきじゃない。
その人のとった行動は、その人にとって尊いものだから。
ぼくは「喜び」をつくり、「喜びを拡散」しようと思った。
ま、そうは言っても、たのしい歌なんかかけないけどね。
ぼくが喜んで人生を生きること。
それを見て
「喜んで生きていいんだよ」って感じて欲しい。
ゆううつな考えにいつもとらわれる50歳。
悲しいことを考えるのがすきなのかもしれない。
でも努力して、楽しいことを考えたい。
あなたは、あなたの尊い意思のもと、あなたの人生を歩んでほしい。
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