「ラブソング」で福山雅治は勝負の時期を迎えてるようだ。
大人の傲慢さとか、経験を重ねることで忘れてく純粋さとか。なくしたものから逃れられない弱さとか。
そういうものを体現するために福山雅治や水野さんはいる。
「ラブソング」という軽すぎるタイトルのドラマで「輝く側」じゃなくて、受ける側に回る勇気は称えたい。
痛すぎイケメン主演男優からするりと脱却するにはこのドラマは最後のチャンスかも。
わざと世間が求める福山像を提供しながらも、藤原さくらと菅田将暉のような新しい輝きに影をおとさない。すごい。
世間はまだ由紀さおりの役柄のようにかっこよく優しい福山くんを求めてるのかもしれないけど。
藤原さくらと菅田将暉の輝きに加えて、夏帆の深みが涙を誘う。
歌を中心として人物がうごく。物語が深くなっていく。第五話の夏帆は、一日の長。さすがの演技。(脚本のキャラクター作りかもだけど)
愛を知らないから愛せないかもしれない。
一見ドラマチックな架空の設定に見えるけど、現代の子供たちはそう感じてる人がおおくないだろうか。
愛し方のへたくそな大人(僕ら)のせいで。
あふれんばかりの愛し方マニュアルのせいで。
親に捨てられて施設で育った。そんな設定はタイガーマスクのように古臭いようで、実は現代のリアル。
ただ、誰も話したがらないし描きたがらないし、目をつぶる。
もし伝えたかったら、あたかも架空のドラマのようにコーティングするしかない。
夢や希望は恵まれてる奴らのものかと思ってた。
僕もそう思ったことが多々あった。自分が恵まれてることもわからずに。
でもそうおもったんだ。
映画「リンダリンダリンダ」でも涙腺崩壊させた「終わらない歌」が、ぐさりと突き刺さる。
さくらが必死に覚えようとしたうた。歌いたいと思った歌。
「終わらない歌」
終わらない歌を歌おう。僕や君や彼らのため。すべてのクズどものために。
「ぼく」と「君」と「彼ら」。それがこの世界。
痛みを抱えたり無茶したり傷つけたり傲慢になったり。世界の全ては「クズ」で、世界の全てには歌われるべき愛の歌がある。
誰もが「ぼく」か「君」か「彼ら」の、誰かだから。
このシーンの藤原さくらと夏帆のよさったら。
TVドラマを馬鹿にしてたのかもしれない。映画を水で薄めたようなものだと。でも「終わらない歌」を挟んだこの二人の数分間は、とても美しい。とても力強い。
普遍的な愛と友情と歌が、とても現代的に描かれている。
歌が空気を変える瞬間を、ライブでよく感じてきたけど。TVでもそんなことがあるなんてなあ。
菅田将暉が若い頃の福山雅治のよう
最初に福山雅治をTVで見たのはなんかのドラマ。ロカビリーバンドをやってた女の子が出てたか、主題歌を歌ってた(ような記憶)のドラマ。
どうってことないチンピラだった。
テルマ&ルイーズでのブラッド・ピットのように。
いまでも一本調子の演技は変わらないけど、それが彼の味なんでしょう。
ドラマを見ながらぼくは「福山雅治側の人間なんだなあ」と心が痛くなった。
もちろん福山雅治の500分の1ほどのかっこよさもないけど(笑)
大人が経験から得た知識や、実力や、影響力を、愛情を子供にぶつけてしまう。
その痛さ。
チャンスをあたえたい!と思う傲慢さ。身にしみた。
若い人と音楽活動をしたり、応援したり、バックアップすることが多いんだけど、それは本当にその子のためになってるのかな?エゴじゃないのか?
僕はしてあげられることを、してあげたいと思ってるけど、それは本当に正しいことか?葛藤がある。
でも僕は彼ら若者をもりあげたい。もっとうまくなって欲しい。もっと多くのものを手にして欲しい。そう願うから。
ぼくが若い頃、多くの大人にしてもらったこと。してもらえなかったことをしてあげたい。
そのためなら「エゴ」だと言われることに耐えなきゃね。(笑)
いちばんすてきなことは菅田将暉の演じる子の行動。アナログなビラ配り、ユーチューブを使った宣伝。なのよりも彼女に対する愛情の強さ。まぶしくて、泣きそうだ。
もう「ラブソング」での菅田将暉は、表情だけですべてをさらう。ほんとに素晴らしい。彼の存在自体がノスタルジーであり、現在だ。
ぼくら大人がなくしたものを全て持ってる。
そして、それをいつかなくすことも知ってる。
なくなさいと手に入れられないチカラのことを知る時がくるんだけど。
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