ラブソング:藤原さくらと菅田将暉のふたりに歌われるべき歌
ここにきてがん告知。吃音少女。まあ、定番に引き戻して、強引なプロモーションでなんとか平均点(視聴率)を上げようとする。割と特殊な設定(受け入れられない人が多い)からスタートしたチャレンジ作も数字の前には頭をたれるしかないんだろう。
- 主人公が吃音である(そこまでショッキングでメジャーな悲劇でない)
- 福山雅治がわたしたちを捨てて若い女に走る
- しかもその若い女は素人で、鬼ちゃんも彼女がすき
そんなドラマをOLたちが見るわけがない。敵視はするかもだけど。
「恋以外なにもふみださないあなたたちへ」というサブタイトルがつきそうな辛らつなドラマ設定だもんね。
夏帆の周辺も菅田将暉の周辺も、エンディングにむけ急にまとまりはじめたし・・・。
まあ、そんな「ドラマってやっぱそうなるんかな・・・」ってガッカリ感をひっくり返すのが若い三人(藤原さくらと菅田将暉、夏帆)のすばらしさ!
まだ顔がそこまで浸透していない鬼ちゃんと、鮮烈なデビュー作のさくら。このふたりにアドバンテージがあるのはまちがいないけど、夏帆の存在感がふたりの輝きを決定的にする。
悲しい笑顔。裏の裏の、さらに裏にまで隠れた不安とあきらめと、さくらに対する深い愛情。
彼女に向かって歌われる「ラブソング」はないのかもしれない。
それでも夏帆はそこにいる。
この人の物語をもっと見たかったなあ。ほんとに引き込まれる演技をする。
ラブソング:おっさんはおっさんの生きる道を行け
わかる。わかるよ。若者の輝きを後押ししたくなる気持ち。
自分が持っていて失ったもの、最初から持っていなかったもの。それを彼女や彼はもってる。
自分が長い年月をかけて手にしたものは、いともかんたんに崩れ行く。
福山雅治が能面なのも、一本調子なのも、このドラマだと意味がある。
大人は感情をなくしてるんだ。
保険をかけすぎて。
共感できる。彼が失ったものを取り戻すための起爆剤としての藤原さくら。
このドラマの結末がどうなるか、それは特に問題ではない。大人の事情もあるだろうし。
でもここに描かれてる
- うまれくるもの(藤原さくら)の輝き
- 去り行くもの(福山雅治)への哀悼
は、見たひとの記憶に残るはず。生まれ来る人たちにはわからないかもしれないが、去り行くものはそれを覚えてる。
福山雅治がキムタクにならずに自由な役者になれるか、キムタクのように覚悟を決めてもてあそばれるか。その分かれ道のドラマとして。
ラブソング:音楽には力がある。自分をひっぺがす力が。
世界を変えたり、幸せになったり、宝くじにあたったりはしない。音楽にそんな力はない。でも自分を自分らしく削ることはできる。体中の「かさぶた」を引っぺがすことはできる。
ドラマのラストちかくのライブシーン。今回はMC中心だったけど、とてもよかった。
自分のことを、はなす。
自分を認める。
自分が生きてることを感じる。
自分が必要とされてることを感じる。
これは一歩を踏み出した人にしかやってこない転機。
おわったおっさんが、若者の輝きをかりようとするかもしれない。多分、福山雅治は藤原さくらにすがりつくだろう。
その惨めさも「自分をさらけだし、自分を取り戻そうとする」一歩かも。
ラブソングは一歩を踏み出す人たちへの鎮魂歌になるのか、応援歌になるのか。
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