太宰治「女生徒」

♯明るい太宰シリーズその①
♯ある女学生(14歳)の目線でみた、ある一日のこと
♯病んでるアラサーの書いたキュートなお話
♯人間の意識の流れ方の描写が秀逸
♯読めば太宰は何か暗そう、というイメージがぶち破られる

「美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、ロココが好きだ。」

 

人間失格。
このタイトルのインパクトが強すぎて、太宰治には暗いイメージしかない。
本人も愛人と川で心中しているし。
(ウィキにはぼんやりとした遺体の写真まで載っている…)
本当に、人生そのものが物語のような人です。
これが本当に事実なのかと疑いたくなるフィクションっぷり。

 

愛人Aと心中しようとしたら愛人Aだけが死んで逮捕されそうになるし、ヤク中、アル中な上に、恋人と結婚したけれど愛人Bとの間には子供ができて、愛人Cのお金を遊びに使い果たす。
最後は愛人Cと心中しますがその死ぬまでのいきさつはいまだにわかっていないと言われています。

最近の芸能人のゲスな騒動とは比べ物にならないエグさ。
私生活がこれほど荒れ果てていても売れっ子作家だった太宰。
当時のファンの人たちは寛容だったのでしょうか。

そんな太宰ですが、意外と明るくてほっこりする小説もあったりします。
今後少しずつ紹介していきたいので、明るい太宰シリーズその①。
今回は私が一番気に入っている「女生徒」を取り上げてみました。

※以下ネタバレ含みます

 

 

「女生徒」は暗くて憂鬱でじめじめしていそうな太宰のイメージからは程遠く、ある女学生の一日を女学生の視点で書いている。
朝起きて、電車に乗って学校に行き、友人と遊び、帰宅して母を手伝い、眠る。
そこに書かれているのは、何の変哲もない日常。

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電車で通学する場面の一部を勝手に現代語訳してみると

この前来た植木屋の人、なんか植木屋感無くて、むしろインテリっぽいから植木屋にしておくのはもったいなかったなあ…気になりすぎてお母さんに、あの人元から植木屋さんなのかな?何かワケありっぽくない?って何回も言ってたらうざがられた。

そういえば今日使ってる風呂敷はあの植木屋が来た日に、お母さんからもらったものだ。あの日大掃除してたお母さんが、箪笥のなかから見つけて私にくれたやつ。凄い綺麗。綺麗すぎて結ぶのがもったいない。

電車の中の人みんながこの素敵な風呂敷を見てくれたらいいのに見てくれない。この風呂敷をちょっとでも見てくれる人がいたらもう結婚してもいいな~

みたいな。

 

電車に乗っているとき、歩いているとき、眠っているとき、こんな風に人は常に何かを考えながら、思いながら、生活している。
でもそのひとつひとつを、言葉にすることはなかなかできない。
それを異性になりきって、ここまでリアルに書けるのが太宰のすごいところだと思う。

少女の客観的に物事を考えていたと思ったら、一瞬でおセンチモードに入る、このアップダウンの激しさが、少女ならではの無敵っぽさを表せている。

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更にこの小説は言葉の表現がいちいち可愛い。
冒頭引用した、美しさに内容なんてあってたまるものか、なんて、下妻物語の深田恭子が言ってそうだし、ぽんぽんと出てくる言葉たちはリズムが心地良い。

 

「いま、という瞬間は、面白い。いま、いま、いま、と指でおさえているうちにも、いま、は遠くへ飛び去って、あたらしい「いま」が来ている。ブリッジの階段をコトコト昇りながら、ナンジャラホイと思った。ばかばかしい。私は、少し幸福すぎるのかも知れない。」

 

「この間も、誰かに言われた。「あなたは、だんだん俗っぽくなるのね」そうかも知れない。私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。ちぇっ、そんな叫び声あげたくらいで、自分の弱虫を、ごまかそうたって、だめだぞ。もっとどうにかなれ。私は、恋をしているのかも知れない。」

 

この数年後人間失格を書く人の作品とは思えない、愛しさで溢れた言葉たち。
少女ってなんでこんなに特別なんだろう。

 

「女生徒」の少女もさることながら、作品における少女という存在が好きだ。
三大日本の少女は「花とアリス」の鈴木杏と蒼井優、「高校教師」の桜井幸子、「ストロベリーオンザショートケーキ」の深田恭子だと思っている。何度見ても、この作品の中の四人は何の理由もなくめちゃくちゃ可愛い。

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最近では大森靖子の「子供じゃないもん17」の歌詞にも私の理想の少女が登場する。

「教科書みたいなことききたいんじゃないのよ 夢みたいなこと言ってほしいでもないのよ」

「ややこしいことが本当は好きでしょ ややこしい私ほんとは好きでしょ?」

「こういうのがしたくてせんせいになったって女子の中で噂だよ まあその噂流したの私だし」

 

という鬱陶しいメンヘラすれすれの歌詞が続く。
何とも究極に面倒くさい。でも面倒くさ愛しい。
長い人生、一度ぐらいはこんな少女に振り回されたいし、少女になって大人の男の人を振り回してみたい、と思うのはきっと私だけではないはず(と信じたい)

 

次にいったい何を言い出すんだという危うさと奔放さと、好き、に対する気持ち悪いほどの無邪気さと。でも大人になりたくて、それを冷めた目で見つめるもう一人の自分と。
そんな色々がごちゃ混ぜになって作られたような少女が好き。

 

「私たちみんなの苦しみを、ほんとに誰も知らないのだもの。いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、いけないことだ。(中略)きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。」

 

少女でいられる時間はあまりにも短いのに、当の本人たちには今が短いなんて意識はきっとなくて、だからこそ儚く見えるんだろうな。
大人と子供の間で揺れる女生徒、という言葉で片づけてしまうにはあまりにも味気ないほどに、太宰はその少女の持つ一瞬をとても繊細に捉えているような気がする。

気付けば、少女って良いねって話しかしてなくてすみません。

少女って良いなあ。





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