東京ディスティニーランド:ここはもうライブバーじゃない。君は人間じゃない
一年のうちに何度が見れる東京ディスティニーランド。
地獄でもあり天国でもある一人芝居。
長い時間、夢の中に叩き込まれる幸せ。
体と精神を削って、大きな石臼でひいて粉にして、鼻から吸う。ドーピング。
もっとも粒子の濃い空間「gigi」にまた東京ディスティニーランドがきてくれた。
100万人にお勧めしたいのだけれど、紹介文が書けないでいる。
騙されたと思ってきてみてよ。
本当に騙されるってことはこんな感じなのかも。
東京ディスティニーランド:ファンタジーとはなんだろう?
不幸のどん底から抜け出したい。
そんな時、悪魔と天使が声をかけてくる。
「白鳥になって、自由な大空へ飛び立ったらいかが?」
「代償は何をくれる?」
天使はただ「自分がしてあげたいこと」をしてあげるだけの利己主義を貫き、悪魔は「リターンにはリスクがある」ことを教えてくれるビジネスマンだ。
原因には結果がつきまとう。
どちらを選んでも同じことかもしれない。
悪魔も天使も「一人芝居の裏表」に過ぎないから。
でも、選ぶ。
選ばなければ、進めない。
すべての生きとし生けるものは、生まれた時から死に向かってる。
ところが彼らから生まれた「作品」は死なない。
歌われなくなっても
上演されなくなっても
語られなくなっても
忘れ去られるだけで死なない
作品は死なない。
これは一見いいことのように思える。永遠の命を持った作品。
でもそれは「死ねない」ことを指す。
忘れ去られるだけで死ねない。
僕らが作った歌は、描いた物語は、いつまでもライブハウスの暗がりでひっそりと息を潜めている。
だからか、ライブハウスの暗がりに「意志」を「遺志」感じるのか。
作った人は、作られた作品を生きている限り上演してあげなくてはならない。
東京ディスティニーランド:打つも、打たれるも一人芝居
なぜ人は
不幸の散りばめられた歌を作り
不幸のまぶされたお芝居を演じ
不幸で巻かれた作品を作るのか?
そして
それをお金と時間をかけて作り、
お金を払ってわざわざ見るのか?
東京ディスティニーランドはいう「人は不幸が好きなんだよ」
この日最後に出された演目は、彼が42年間壮絶な人生を歩み、その傷のカザブタをはぎながら作られた作品だった。
目を背けたくなるような「他人の人生」が胸ぐらを掴んで離さない。
裏切り、裏切られる。
殺し、殺される。
どちらが自分なのかわからない。
赤いカーテンがただそこにある。
まるで夢の中にいるようだ。
でも、その夢を見てるのは誰?
ツインピークスの中で語られるこのセリフが、すべての不安を表してる。
作られたものも、作った人も
起こった悲劇も、嘲笑も、憐れみも
暴力も。
夢の中で起きているように感じる。
周りのすべてが、自分自身も含めて夢の中にいるようだ。
でもその夢を見てるのは誰?
自分自身に後ろから銃で打たれ生き絶えるエンディング。
誰もが自分にピリオドを打ちたいのかも。
そして、自分を終わらせることのできるのは自分自身だけなのかも。
僕は僕自身に、背中を打たれて死にたいと思っているのだろうか?
【609号室】ガーリーおじさんはまったく役に立たない2017
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