不倫とか、不倫とか、喧嘩とか、薬物依存とか。
この世にはほんとうにくだらない人がいる。
でも、生きてる。
誰かをケガさせたりしたら、法律が間に入ってきて「被害者」と「加害者」とをつくり、罰を与える。それは当然のこと。「被害者」と「加害者」の間の問題。
子供のころ、両親と学校の先生はきちんとしてた。
大人が全員まじめで、きちんとした社会生活を送ってると思っていた。
22歳で東京に行くまでは。
東京で出会った人たちは、ろくに仕事もせず、飲み屋に住んでる人とかいた。
その人のことはみんな「しょーがないやつ」だとは言いながら、ときどき面倒を見ていた。
愛人を変えまくり、なんども結婚した人もいた。
お金を盗んではやくざに殺されそうになってる人もいた。
でも、生きてた。
そのつど、制裁は加えられてたと思う。
でも、生きてた。
「こんな大人でも生きていけるんだ」
この事実に触れることができたから、僕はいろんなことがだめでも自殺せずに生きてこれたと思う。
人に迷惑をかけることが大嫌いだけど、迷惑かけちゃうこともある。
僕はまじめで潔癖で、公共の福祉をまもらねばという考えに、いまでもどっぷりつかってる。
車の窓から煙草の灰を捨てたりするひとを殺そうとおもうし
時間を守らない人とは付き合いたくないし
僕のことを軽く扱う人は僕の「楽しいリスト」からはずれてもらう、と思う。
でも、生きていていい。
そして、そんな風に偏屈な僕だって、生きてていい。
究極なことを言えば
「死にたいと思ったら死んでもいい」とすら思う。
それが一瞬の気の迷いだったとしても。
ときどき若い人と話すと
まるで政権与党か?と思うような「世の中はこうあるべき」という意見を持っている人が多い気がする。人は、企業は社会や国や世界にとって役に立つ存在でなければならないと。
そういう君はどうなの?というと、「自分やまだ役に立ててないからダメだけど、努力はしている」という。
世の中の役に立つための努力って、必要?
それが君の希望ならそれは素晴らしいことだけど。エゴ的に。
世の中の役に立たない=生きる資格がない
それは違うと思うなぁ。
TVで大人がいつも頭を下げてる。あんな大人になりたくない!
すごくよくわかる。
でもさ、そんな大人になってしまったとしても、生きてていいんだと思う。
天罰とか、落ちないから。
自分の理想の「正しさ」にからめとられてないかなぁ?
ぼくはずっと自分の描く「正しさ」にこだわっていて、それでいやな目にたくさんあった。
それは「自分の正しさ」に、自分ではない他人が「迎合してくれる」と思ったから。
でも、もういいや、と思う。
僕の正しさと違っていても、それがその人の正しさだったり、楽しいことだったらそれでいいや。
僕の正しさもほかの人にとってすごい窮屈なものだろうから。
なんてことを書いてるのは、仕事が思うようにいかず、現実逃避をしているからです(笑)
そんな逃げ腰初老だって、もちろん生きてていい。
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