こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
先日、 十数年ぶりに「チープサイド」というライブハウスへいきました。
飯倉という、ちょっと 行きづらいところだったけど。
なんせgn8mykitten(グッナイマイキトゥン)と岡村くんがでるらしいので。
たまには「見るだけ」ってのをやんないと、音楽が好きじゃなくなってしまうからね(笑)
自分でやるようになってなかなか見に行けなくなった。
ライブが被ってたりすることが多くて。
あと、なんていうかブッキングライブのあり方にも少しもやもやするしね(笑)
扉を開けると、gn8mykittenと岡村くん、田代くん(この日出演予定だったけど喉の調子が悪くてパーカッションだけの参加だった)がこっちを向く。
「なぜサニーが?」的な(笑)しかもミヤさん連れて。
ライブがドリンク付きで1200円!
すばらしい!
二杯飲むよね。
今回はライブレポのような形ではありません。
ライブは三者三様のすばらしがあって、誰も交差しなかった。
憎しみも怒りも希望も愛も、それぞれの表現方法だった。武器もルールも違った。
出演する対バンとしてではなく、客席から見ることでわかることってたくさんある。
客席にはケイクマもいた。
岡村くんの別の一面が見れて嬉しかった。
gn8mykitten。
住吉のブギのオープンマイクで見つけてから、ずっとファン。
対バンもあった。
お人形インタビュー「ブリリアントなお部屋」にも出てくれた。
少しだけ話したこともある。
でも彼のことはほとんど知らないと言っていい。
初めて見てから2年くらいになるのかな?
彼はとてつもなく大きくなった。
もはや巨人だ。人ではない。
30分の持ち時間。
言葉を発し続ける。
人には息継ぎが必要なはずなのに、肺に残ったすべての空気を出し尽くすまで、言葉を吐く。
「生きる」ってことをそのままステージに出す。
最初は確かに「インパクト」があった。
高橋プランクトンがよくいう。
「僕はねこだましみたいな、インパクト勝負だけど、いつか【歌だけ】で勝負したいなあ〜」と
僕にとってはプランクトンはしっかり「歌」なんだけどね。
gn8mykittenも「無伴奏ラップ・ノーマイク」というインパクトでスタートしたんだけど(それが彼の作戦かどうかは知らない)、歌は(あえて歌っていうよ)どんどん深みを増し、リズムとリフレインをもつ。
メロディーはない。必要としないから、ないだけ。
どの歌もどんぞこから這い上がって、光さす方へ向かう。
登場人物とgn8mykittenは重なったり、離れたりする。
もう死ぬんじゃないだろうか?まで歌う。
光へ。明るい方へと。
過去をねじ伏せるほどの力で。
一晩で地獄が天国になることはないことは知ってるけれど。
楽譜の一つも残せない無数の地上の星の残骸を歌う。
「音楽を楽しむ」というのがどうもしっくりこない。
「楽しんでる姿を見せることがお客さんへの誠意」というのも。
楽しいか?
僕の歌を聴いて楽しいのだろうか?
僕は歌っていて楽しいのだろうか?
苦しいことの方がおおくないか?
じゃあなぜ歌ったりギター弾いたりするんだろう??
ギター弾くのは楽しい。僕のエンジンが回転しまくるのがわかるから。内圧が上がって爆発するのがわかるから。
でも歌は?楽しい?
なぜ作る?なぜ歌う?なぜ?なぜ?
gn8mykittenの歌を聴くと「あなたはそれで、どうするの?」と言われてるような気がする。
自分自身と対峙することを「強要される」うただ。
問い詰められるような。
逃げられないような。
だから彼を聴くと苦しくなるんだ。苦しんでる彼から目が離せなくなる。
自分自身も苦しんでるから。
「俺はこうだ」
「お前はどうだ」
この二言をずっと言われてるような
きっと自分の心の怖いところ、醜いところに気がつきたくない人は彼の歌を聞かないのだろう。
怖いから。
自分が何者か?
自分には何ができるか?
自分は何を産むことができるか?
その問いに答えるのは難しい。
でも世の中には「自分はいったい何者だろうか?」と自問してるひともまだいるはず。
そんなひとに彼の歌が届けばいいのに。
たまに、gn8mykittenに叩きのめされに行かないとね。
明日も生きるために。
明日も作るために。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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