こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止について。
僕は反対です。
展示をこういう形で中止することは「前例を作った」こととして歴史に残るでしょう。
少女像という「治的に両国に利用されているもの」がある。というのをいい口実に、検閲が行われること。
デリケートな部分の多いものは人目に出さない前例を作ったこと。
とてもおそろしい。
現行の憲法21条には、
- 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
- 検閲は、これをしてはならない
- 通信の秘密は、これを侵してはならない
とある。
憲法は一番上のルール。
誰かの加減で変えられてはいけない。
「税金でやるなら公共の福祉に準じたものをやるべき」
その気持ちはわかるけど、
税金を投入して
- 人を殺す道具を買ったり
- 人を殺す企業の株を買ったり
はいいの?
税金投入とか、そういう政治とか経済とかよりも上位に「憲法」はある。
権力を持つものだろうが、持たないものだろうが、憲法の下では同じなんだ。
「ガソリンまいて火をつけに行く」
こんな脅しはどこにでもあるはずだ。
これが「日本の国家と国旗を守る会」なら厳戒態勢の警備で執り行われるだろう。
憲法の名の下に「自由」が定められている。
路上で、公然とわいせつな行為をしたわけじゃない。
「こういう展示があります」という前書きがあって、それを見たいと思う人が見にく。
見に行かない自由もあるし、見た後、展示にケチをつける権利もある。
歴史問題に関しては、お互いに言いたいことを言えばいい。
アートが政治に利用されるのも当たり前のことで、そのこと自体問題ではない。
「表現の不自由」というものを表現する展示会なのだから、それに興味のある人はいけばいい。
だからと言って、誰かの一声で「なかったこと」「ないもの」にしてしまうのはどうなんだ?
それは正しいとは思わない。
アートにもいろんなジャンルがあって、わかるもの、わからないもの、感動するもの、気分を害するものがある。
それぞれ個人が「感想」や「意見」を言い合うのはいいし、そもそもアートになんか興味なくてもいい。
ただ、そこにあることを否定しないで。
不快なものを塗りつぶす。
公共の福祉という気持ちのいい言葉で「マジョリティ意見」が適応される。
これは絶対にあってはいけないこと。
バリアフリーの件とも繋がっている気がする。
健常者が「バリアフリーをしてあげる」んじゃない。
前提がバリアフリー。全ての人は幸せに生きる権利がある。
バリアフリーできてないことが異常なんだ。
都合の悪いものをなかったことにする。
でも存在は消えてなくならない。
そんな「透明な不都合」が溢れて、息苦しくてたまらない。
好きな音楽、好きな映画がある。
嫌いな音楽、嫌いな映画がある。
嫌いな本がある、好きな本がある。
知らないものもある。
好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いだという。
まあ、それが「好き」な人の集まりで、わざわざ「嫌い」って発言するのはどうかとはもうけどね。
知らないものに関しては何も言いようがない。
僕はみんなが楽しくなるような歌を歌わない。
聞き様によっては気分が悪くなる歌も歌う。
でもこれは僕の作品だ。
僕は歌う。
嫌なら聞かなかったらいい。
(ということで出演できなくなったところもたくさんある笑)
僕はあなたたちが歌う歌がとても気持ち悪いと思う。
でもそれを「歌うな!」とは決して言わない。
聞きに行かないだけ。
どんなものでも存在していいし、展示されていい。
それを見ようが見まいがは僕らの責任。
どんなものでもその存在を「なかったこと」にしちゃいけない。
韓国がどうの、従軍慰安婦がどうの。
その問題は別の話。
どんなものであっても「展示会で展示されること」を止めちゃだめだ。
もちろん外交圧力としての、街角に作られた「少女像」にはいろんな意見があると思う。
でも「展示物」としての「少女像」は絶対に展示されていい。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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