ジブリの立体建造物展:目に見えない部分に愛情を注ぐ人たち
ゴジラ展で見た、制作の人たちの狂気的な愛情。実際に物を作って、壊す!というカタルシスに満ちた模型作り。
たった一瞬でその形を失う。壊されるために作る。
そんなマゾ感覚に溢れた愛情。
でも今回みた「ジブリの立体建造物展」は、さらに上を行くかもしれない。
実際に、ないものを「あるように」見せるために書かれた、あらゆる図面、建築概要、ディティール。見えない床下。
壊すカタルシスすらない、光のための影。
アニメーションの登場人物がその場にいる数分、もしくは数秒のために計算されて作られる部屋。
まったく狂ってるとしか言えない作業。
でも、
当たり前なんだろうな。
「ないもの」を「ある」って言い切るにはそのくらいの覚悟が必要で。
リアイティはアニメばっかり見て育った雰囲気クリエイターには作れない。
美しすぎる脳内の情景しか書けないんだろう。
ジブリの立体建造物展:カルチェラタンがそびえ立つ。バーチャルリアリティなんてやわなもんじゃない
ジブリ作品のあの鮮やかさが苦手。
アニメーションのキラキラが気持ちが悪いと感じる。
アリエッティの世界も大好きだけど、色が強すぎる。
僕の大好きな舞台は、コクリコ坂のカルチェラタンと思い出のマーニーの洋館。
全方的に光に満ちてる世界じゃなくて、そこにものがあるからできる影の世界が、脳内快感とリンクするから。
生活のための道具。
見栄えのための部屋と小道具。
豊かな心のための放置された書物。
必要なものも、そうでないものもそこにあっていい。
生活の香りがする。
そんな映像を作り出すために、どれだけの建築物が参照され、引用され、研究され、再構築されたか。
そのかべ、窓枠の一つ一つに必要性があるからこそ、その前を通り過ぎる人物が生きてくる。
ジブリの立体建造物展:なんでもCGでできるからこそ
その奥には1000パーセントのリアルが必要。
物語は共感できたり、できなかったりするけれど。舞台は完璧でなければ。
実は設定書を作るのが好きだった。
全然見えないでしょうけど(笑)
中学生の頃、ロボットの出る紙芝居を小学生のために作ったことがある。
子供会の出し物として。
数人で手分けしながら。
その時に、設定書を作った。マニュアルみたいな。
この目はこういう作りになってるとか
腹を開けた部分のメカニックとか
足の裏とか
ここまでは後ろに手がまわるとか。
部屋の図面とか。
どんな話だったかは忘れたけど。
世界の入り口は、企画書だ。
その企画をリアルにするのが設定。
ジブリの立体建造物展:ジブリが好きか?と言われると
それほどジブリが好きではない。
好きな作品より、苦手なものの方が多い。
アニメーション映画もそう。苦手なものの方が多い。
でもジブリの完璧主義は好き。
そんなことしなくても!っていうのは作らない人の意見で、作る人の喜びは「そんなことしなくても!」にある。
作品を見ると、作ってる人の喜びと苦悩が見える。
ストーリーよりも、ずっと鮮明に。
その喜びと苦悩を、しっかりと展示してくれた「ジブリの立体建造物展」は素晴らしい。
レイアウト展も素晴らしかったけど、見た後ヘトヘトになった。
これは、高まる!
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