第一次阿片戦争(萠珈期)終了。【西洋へアジアからの反撃:替え歌】

2017年3月21日。52歳の誕生日を翌日に控えた日。
阿片戦争は始まった。

>>>>その時の記事

こさいみなみのプレイボールイベントで「次週に空きがある」という話を聞いてすぐにエントリーした。
この日から都合7回、萠珈のプレイボールに出演。準レギュラーというか、レギュラーだった。
他の場所ではもっと長尺のショーができた。(第二次阿片戦争のヒントはそこにあった)

 

僕の後が、萠珈という順番だったので、出番が終わっていつもがっかりしてる自分と、彼女の歌の凄さの間は全く縮まらず(笑)

このままで何度ライブをやっても、あの漆黒とホワイトアウトには指一本かかりゃしない。

そう思った。いつも。

 

多分今年一年で一番萠珈のライブを多く見た。
ぐんぐん伸びる彼女の後ろ姿はもはや見えない。
かつて一緒に演奏し、デュエットのCDを出した人と同じには思えないほどだ(笑)

 

純文学からの日本語の解体と、ヒップホップの産道をくぐり抜けた歌詞は、より美しく、濃くなった。
彼女は「自らろうそくとなり、炎に焼かれながら燃え続けないと、歌は生まれない」と言っているようだった。
文字通り命をかけて、瘦せこけながら、泣きながら作品を生み出していた。

 

 

僕は器用貧乏で、いろんな思考、趣向をごちゃグチャに持ってる。まあそこが個性と思えるんだけど、僕の一部である「文学・芸術」志向を再燃させてくれたのも萠珈だし、それをいったん止めることを決意させたのも萠珈だ。

 

僕は僕の芸術を作るために止まる。
戦前の芸術を作るために止まる。

 

これからの音楽活動のテーマは「戦前」だ。

 

昨日もMCで言ったのだけど、

先の大戦の「敗戦」をなかったことにしようとする一派がこれから国を動かす。
強いものはより強くなり、弱いものはさらに弱いものを叩いて自分を確認する。
例えば外国人を狩る。
例えば生活保護者を狩る。
さも自分が勝ち組のように。
今度こそ「戦勝国」の仲間入りを果たすために、金髪の豚の下僕となり、国土を捧げる。
献上金を捧げる。
沖縄以外の人々は「自分の隣ではないから」という理由で基地を作ることを賞賛し、アメリカ人を駐留させる。
アメリカ人が僕らを守ってくれるという脳内お花畑な理由で。
放射能汚染で家へ帰れない人以外は「自分の隣ではないから」という理由で原発を再開させる。経済発展には電気が必要だからというもっともらしい理由で。

忠実な犬のようにどこへでもほいほい戦いに行ける法律が作られ
意に沿わぬものは消される。

それを望んでる人が多いからそうなったのか。
徐々にお湯の温度を熱くしていけば、中のものはそれに気づかず、ある時、死ぬ。

 

第一次阿片戦争の目的は
「西洋列国への歌を通したしっぺ返し」だった。
あなた達の作り出した素晴らしい音楽を、日本の言葉で汚してあげる。

ところが僕の表現力の低さと技術の低さ、志の低さからか、それは「楽しい音楽」へと変わってしまった。

そうじゃない。

僕は萠珈のように「地獄」を掲示する必要があると思った。
誰もが目を背ける現実の中の地獄を。
しかもファンタジーとしての昇華を前提としたもの。
怒りや絶望が根底にあったとしても、それを形にするだけでは「芸術」じゃない。
戦前の不穏な空気に警鐘を鳴らしながらも、
自分の好きなことをやる勇気・続ける勇気に火を灯す存在でなければならない。

楽しい表層でなければ、誰も目を、耳を貸さないから。
美しい破滅でなければ、心を動かされないから。

 

阿片という一つの薬物が国を滅ぼし、植民地として「香港」を奪われたという事実と、阿片に翻弄される人々の弱さと愛おしさを表現できる「音楽」を持って帰ってきます。

その時、たとえこの場所が焼け野が原だったとしても。

 

 

【609号室】ガーリーおじさんはまったく役に立たない2017





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