ぐにゃり第6回公演「アクアリウム」(あらすじ)
サラリーマンが一人、
「魚は、いいなぁ」
一匹の魚が応えます。
「魚に、なりたいの?」
水族館でも何気なく自然の営みを続ける「魚」と、
ぐにゃり第6回公演「アクアリウム」:こちら側とあちら側
灯りが消えて、水族館にきてる母子の会話が聞こえる。
大きなお魚の顔をかぶった女優(薔薇園花江)がゆらり、シャン!と現れる。
お芝居の、お話のつかみとしては最高。
僕ら人間から見た日常のかけらの「水族館」と、その中から僕らを見てる「お魚」。
パッと見て、関係性がわかる。
説明しなくてもすぐわかる造形。
不気味に表情のない母子の後に出てくるこのお魚は「おかみさん」のような格好をして観客を見てる。
やってくるのはサラリーマン。
なんだかくたびれてる。
スマホで繋がれてる。
仕事からも家庭からも逃げるように「安全な場所」へ逃げてきてる。
仕事場では活発に意見を発したり、冗談を言ったり、一生懸命仕事をしてるあの人ももしかしたら「一人になりたい=一人になりたくない」そんな時があるんだろうか?
彼とお魚のお話が始まる・・・。
ぐにゃり第6回公演「アクアリウム」:知ろうとすること。知らずにいること。
魚は彼にいろいろなことを聞いてくる。
- 水の外の暮らしは?
- 家族は?
- 初めてのデートの時
根掘り葉掘り聞いてくる。
おばちゃんのように。
この「親しげでちょっと鬱陶しい」おばちゃんが実は「 」だったりするんだけど。
二人が会話するだけの劇の中で、ぐっと強く掴まれるシーンが、いいタイミングでやってくるからずっと集中して見れる。
暖かい会場の中、まるで水の中のようにぼんやりする時間帯も含めて、いい。
知らないから知りたい・・・自分の常識に当てはめてみて「変」だから知りたい。
魚と人間じゃいろいろ違うことばかり。
その都度「魚にはわかるもんか」と彼は言う。
「魚になってみたいの?」と魚は言う。
理解をしようとする以前に「知ろうとすること」の欲求は止められない。
僕らは人間なので、魚の「人生」は、いちいちが興味深い。
でも、彼は。
ぐにゃり第6回公演「アクアリウム」:子供を産む、子供を育てる。責任の比重。
魚は「卵を産んだらそれっきり」だという。
無数の卵を産んで、それはほとんど食べられる。
残った卵は水族館の飼育員がどこかへ持っていく。
子供の顔を見ることなどなく、子育ての重責もない。
人間は少ない子供をしっかりと育てようとする。
種の保存の本能だけではないと思う。
社会人と言うカテゴリーの中で「子育てをする」と言う評価は厳しい。
産まなきゃ失格
ちゃんと育てなきゃ失格
そんな重責の中、つがいだったはずの男女はすれ違うようになる。
家に帰りたくなくて、閉館まで水族館にいる。
こんな寂しいことはない。
人として成長していき、結婚して、家庭を持つ。
そして魚の死んだような目になる。
こんな悲しいことはない。
ぐにゃり第6回公演「アクアリウム」:悲しみと寂しさを増幅させながらどこへ着地するのか。
物語は少しずつ観客の経験とリンクしながら寂しさを増してゆく。
魚になってみた彼はどうだったのか?
ものすごく危うく、儚く、柔らかいラストシーンに着地する。
作・演出のさちんさんは熱い気落ちを硬くコーティングして見せてくれる。
前に見た蛸人間の時もそうだったけど、ふわっと軽い「何か」をまぶして、消化の悪い「感情」を食べさせてくれる。
口当たりがいいのでふわっと食べてしまうんだけど、後で胃の中で何か重たいものに変化する。
薔薇園花江さんはもういつ見ても「しっかり」してる。
堂々とステージに立ってる。
まっすぐに立ったおかみさん(のようでそうではない)の姿がこの物語の包容力を表している。
少ない時間だけど、とうどうせいらさんの儚さと怖さもピリッとしてる。
サラリーマン役の渡部光泰さんは、おばちゃんに「あなた、しっかりしなさいよ!」って声をかけられそうなムードいっぱいで楽しかった。
誰もが経験したことのある「こんなは受じゃなかった」と言う思いを表す白シャツのシワと疲れ。
寒い寒い夜の、暖かい部屋でのひととき。
とても楽しかった。
僕は家に帰るのが好きです。
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