こんばんは、ブログアパート管理人のサニーです。
「誰かの世話になって楽に生きよう」と最初から思ってる人もそりゃいるかもしれないけどさ、ほとんどの人が
- 明日から働けなくなる
- 明日から動けなくなる
なんて考えてもないよね?
でもさ、それってあり得る話だと思うんだ。
例えば
- 病気が見つかって
- 事故にあって
- 事件に巻き込まれて
- 帰宅困難区域になってしまって
- 家がなくなって
- 会社が倒産して
- 契約が解除されて
何かのはずみで「自分はちゃんと生きていける」と言う人生設計図が吹っ飛んでしまうことがある。
今月の家賃が払えなくて追い出されてしまう可能性は、ある。
それは「戦争」とか「北の脅威」とか、「中国の支配」などという大きなことではなくて。
無免許運転の車にはねられて、相手に支払い能力がない場合、ただ、働けなくなるだけ。
働き過ぎで死にたくなって死ねなかったりしたら、もう引きこもるだけ。
自分が小さな存在、雑にあつかわれる存在になった時、初めて「少数派に優しくない社会」に気づいたとしてももう遅いんだよね。
だってその時は「声をあげても届かない社会」が出来上がってるから。
政治がどうとか、
憲法がどうとか言う前に
- 小さな意見を抹殺する社会
- 正しいことだけを正しいとする社会
- 弱者を排除する社会
に加担してると、いつか自分にその番が回ってこないとも限らないよ。
強いものが党派を組んで守りあって、弱いものが対抗力のない抵抗をするしかない世界が完成しつつある気がするんだ。
今、強きものの意見と同じだとしても、いつか自分が弱き者になる可能性を考えて行動すれば、自然に多様性のある考え方ってのは生まれてくると思うんだ。
自分の考えを、信じてるものをもう一回考えてみて。
「こんな奴らが社会のゴミになってる」なんて考えたことない?
「こんな奴らと一緒にしないでくれ」って。
でも、そんな奴らに自分は絶対にならない?
強いものがより強くなり、弱い者を排除する。弱い者はさらに弱い者へ怒りを爆発させる。
神様とかは信じないけど、自分の人生が「見えざる手」によってひっくり返されることはあるんだ。
自己責任を追求して、成功者とそうでない人を線引きしていくと、どうなるんだろう。
誰もが自分の人生の主役。
そうは言うけど、映画やドラマで活躍するのはごく一握りの人たち。あとはエンドロールに名前もなく、爆弾でばーんと吹っ飛ばされるだけの役。
車椅子生活になった後の人生は語られない。
どんなに注意してても、自分が「雑に使われる存在」になる可能性はある。
経済の発展の恩恵を受けない側の人間になる可能性はある。
僕だって、明日から歌ったりギター弾いたりできなくなる可能性があり
あなただって、ご飯が食べれなくなる可能性がある。
断る権利を使うのに勇気がいったり、
嫌なことを嫌だということを責められたり。
なんかちょっと最近、変だなと思うことが多くなってきたのです。
【704号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2018
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