VIVREの8階は天国 です。
ちなみに、去年、超好みの服があるお店を見つけました。
さ、普通ならどうでもいいような話。
実は、私は、10数年間、楽譜が読めることが当たり前の世界で過ごして来ました。
楽譜が読めること、指揮者の指示に従える事、そこまでは行かずとも、楽譜に書いてある音量の指示や指番号の指示に従うことを第一としてやって来ました。
(どういう遍歴をたどってきたかがバレそうだな。)
ここ数年、楽譜が読めることを必要条件としない、感性の世界だけで色々とやらせていただいた中で感じたこと
1 インスピレーション
2 音を通じた会話
3 楽譜は読めなくても何とかなる(1・2に通じること)
でした。
高校時代まではコピーが当たり前、その中では音符が読めることが当たり前でした。
今までは音符が読めるということが当たり前。
実の所、マニアックすぎて知られていなかった、音楽検定(洋3級)というものを持っているのですが、その音楽検定も、音楽の中で聞こえるピアノ譜はどれでしょう、って感じで、楽譜に書いてある拍子、音階がわかるのは当然、その先の、どんな音を弾いてますか?アンサンブルの中でピアノが鳴っているのは聞き取れますか?というところを聞いていたわけです。
楽譜を読む中で、曲のニュアンスがつかめて、自分の役割を認識できるというところ。
でも、本当の音楽って楽譜が読めるというところの外の部分にあるんですよね。
初めてそういうところに気づいた一年だったように思います。大学でも耳コピはやってたけど、それも音ありき、楽譜、音源ありき。
そうじゃなくて、一から作っていく感じ。
楽譜が存在することを当たり前としない、感性で出来上がった音が目の前にある、って感じ。
きっと今の私には難しいことでしょう。
音を聞く耳の良さは鍛えられていても、0→1を生み出せるタイプではない と感じていた部分は、きっとここにあるのでしょう。オーソドックス、とか、セオリーどおり、とか、それも楽譜の上でしか感じられないのに、それ以上を自ら生み出していくのではかなり厳しかったのではないか、と
。そういう意味では何も知らない、というのはかなりの強みだったのではないかと。
とりあえず、今年は 楽譜ありきを脱しないと厳しいんだなと思いました。
楽譜が読めるならクラシックもあるけど、それほどまでには技量が追いつかないし。手も広がらないし。
感性、どうやって磨くのがいいのかしら。
相変わらず、字ばっかりでごめんねサニーさん。
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