こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
セクハラ、パワハラ、モラハラ?。
ハラハラし通しの平成最後。
今朝も「スクールセクハラ」なんていうニュースやっていた。
小学校6年生の子供が、先生にセクハラをされていたという。
それをまあ、いつものごとく(政府のごとく)
- 隠蔽する
- 形だけの調査をする
- 被害者を黙殺する
っていう昭和な方法で対処して、結果問題になってる。
国の最高機関がやってることを教育機関がやるのは当たり前だよね。総理のお友達じゃなかったから発覚した。
セクハラ。
ほんと難しい。
僕もセクハラ発言をしてしまう。しょっちゅうではないにしても。
セクハラまがいのことで「その場の雰囲気を楽しくしよう」っていうのはまさに、松本人志的な低レベルの笑い取りのやることだけど、素人はそこに頼っちゃうこともある。
う〜ん。難しい。
このスクールセクハラのニュースでも
「元気付けようとした。親しみを込めて肩を触った」とか言ってる。
それもわかる。
それはやる方の理由。
真剣に話をした方が響く子供も、ちょっと冗談ぽく接さないとダメな子供もいるし、小学校6年生とか一番理解不能だと思う。
先生。ほんと、大変なお仕事だ。
平手打ちされても平気な人もいるかもしれないし
一人立たされて指名されるだけでもいやな人もいるかもしれない。
自分が性的な目で見られてることを忌み嫌う人もいれば
ほとんど気にしないひともいるかもしれない。
理想としては、世の中の誰もが「いやだと思った時にいやだという」ことができるようになることだと思う。
我慢したりせず、いやだと思ったらいやだという。
「いやなことをされるのはいや」
そう思うのは普通だし、普通の精神状態で「嫌がることをするのが好き」という人は(公の場所でね。性的な趣向は別だけど)あまりいないんじゃないかと仮定する。
いやだという意思を明確にした後で「なぜそうされたのか?」を説明、指導するということが発生するのかな?
僕は学校で「勉強以外のことを教える必要はない」と思ってる。
生活態度とか、友達と仲良くとか(笑)集団生活のいろはとか、そんなものは教える必要がないと思ってる。
それは「正解がないから」。
相談されたらアドバイスをする「別機関」はあるべきだとは思うけど。
勉強は正解があるでしょ?国語だろうが算数だろうが。
体育にはないかもしれないけど。
生活態度とか、趣味とか、休み時間の過ごし方とか、そんな正解のないところの指導まで先生にお願いするのは間違ってる。
先生は「その人なりの人生」しか送ってない。誰だってそうだ。
正解なんてない。
家で、人間関係の中で揉まれて、傷ついて、傷つけて、学んでいくものだと思うんだ。
誰かの指導に付いていって、その範疇を超えてしまったら?自分で考える能力が育っていない子供はどうしたらいい??一生面倒見てくれるならいいけどね。
先生の負担が大きくなって、子供たちの適性や性格を判断する時間がなくて、その中で「いやと言えない圧力」が生まれて。
とても悪い方向に向かってる気がする。
その小学生にしても、「先生にセクハラされた」っていうのにどのくらい心が痛むか。どんなことをされた?って聞かれるんだよ。そりゃ事件を調べるには必要なことかもしれないけど。
- どんなことをした?
- どんなことをされた?
セクハラ事件に置いて、どっちの質問に答える方がイヤ?
しかも「される方が悪い」的な考えが蔓延してる世の中で。
- いじめにあう方も悪い
- チカンされる側にも問題が
- 発言する方が悪い
そんな会話が日常的に交わされる世の中を子供たちは知ってる。
いつも思う。
どうにもならないのかな、と。
教師が変態だ、とかそんなわかりやすいとこに納めないで、どうにかならないのかな?と。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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