正しいことを訴えてるとなぜ孤立するのかな?スローガンと選民意識、「個」と「グループ」

こんばんは、ブログアパート管理人のサニーです。

このところずっと気になってること。
それは「何かを変えようと頑張ってる人は、だんだん人から離れていく。だんだん人が離れていく」ということ。

最近、ブログでもよく書いてる「女性議員を増やそう」とか「与野党均衡が必要」とか。
その内容だけとってみれば「絶対反対」っていう風にはならないことも

「誰かの口から出る」
「誰かの書き込みとして知る」と、急に

  • もうそんなめんどくさいことに関わりたくない
  • あなたには言われたくない。

というふうになっちゃう人が実際多い。

 

イエスでも、ノーでもなくて「棄権」する。
そうやって一般のみんなを「考えるステージ」から降ろさせてるのは、実は「正しいことを訴えてる人」なんじゃないだろうか?と。

スローガンのこわさ、というものがある。
「みんなで一緒にがんばろう」という気持ちがあっても「一致団結」って書かれたら、引く。
スローガンの元にあつまった人たちにとっては、それは「強い旗印」なんだけど、他の人たちにとっては「壁」じゃないか?

 

強く訴え、反対意見をけちらすことで、強くなる。
強くならなければ力は持てず、時代は変わらない。
でも、強くなることで壁はどんどん高くなる。自分たちが知らない間に。

 

 

これはもちろん、自分に対する思いなんだけど。
言いたいことをいう。
その自由さは絶対だ。
でも、同じ意見を持った人で集まることで、何が起きるのか?
結果的に他の社会、他の意見との断絶で、正しいと思うがあまり「自分たちが優位」と思うゆえの上から目線。人を導こうとする時に出るあのいやな目線。
正しいことをやってるという自負からの、いらだちが人を遠ざける。

 

 

政治的っていう言葉はよくわからない。
日々の小さな疑問について堀りおこしていってたら、「政治」っていう根っこに当たったっていう感じなんだけど。
でも、多くの人にとって「政治的」ってのは、

  1. 触るとやばいもの
  2. でもほっといていいものでもなく
  3. やらなきゃいけないのはわかってるんだけど
  4. やってる奴らはえらそう
  5. わたしはどうせ勉強も足りないし
  6. なんかもうめんどくさい

 

そういう流れを感じる。
このままじゃダメな気がする。

うーん。
どうしたらいいんだろうか?

 

 

ひどいTVや報道、ネット情報。
そのほとんどをいま、僕は受け入れられない。
閉じていってる。

その先にあるのはなんだろ?
それが奴らの狙ったものだとしたら、僕らにはもう逃げ道はないのだろうか?

 

「導かれたい」という思いと「導かれたくない」という思い。
同じ気がする。

「誰かに導かれたい」「あなたには導かれたくない」
この二つの根っこは同じ気がするんだけど。

 

そしてきっとこのブログはそう多くは読まれない(笑)

 

【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019

 

 





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