こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
ジェンダーっていう言葉の使い方がいまひとつ馴染んでないんだけど。
女性と男性。
その二極では測れないことやものがある。
ただただ「自分らしくいればいい」ってのが性別に左右されない唯一の生き方だとおもう。
- 男だからって男らしく生きることはない
- 女だからって女らしく生きることはない
いってしまえば、これだけ。
でも、いろんな枝葉の議論がでてくる。
- 男らしく生きることのなにがわるい??
- 女性の女性らしさがわたしは好きなの!
いやいや、違うよ。
なにも否定されない。
どんな生き方も否定されない。(法に触れなければ)
ってことで、
いまこの「法に触れる」って部分が修正され、アップデートされていってるんだとおもう。
最終的にどんな恋愛をしようが、誰と結婚をしようが、法に触れない。
そんな世の中にしようって話なんだとおもう。
ついこのあいだまで、黒人と白人は結婚できなかったよね?
ついこないだまで、人種隔離政策は平然と行われていたよね?
でもいまは「法的には」改善されてきてる
そういうことだとおもう。
それが歴史だと思う。
改善していくこと。
個人が個人で生きやすいように変えていくこと。
女性らしさを求める女性を否定しない。
男らしさを求める男性をを否定しない。
否定しない世の中。
でもさ、いまは「否定」から始まることがおおいよね。
この国の総理は「あんなひとたちに負けるわけにはいかない」と言い放った。
自分と違う考え方の人たちを否定した。
総理大臣ってのはそういう「あんなひとたち」からも養ってもらってるんだよね?
税金払ってもらってるよね?
ハゲの国粋主義の随筆作家が「あんな左翼は非国民だ」って発言するのとは違う。
否定にのるのは、肯定にのるより簡単だから。
自分の正しいと思う意見にまみれていると、気持ちがいいし、自分が肯定されているような気がする。
そして強くなったような気がして、弱い意見(弱いと思い込んでる他の意見)を「正しく是正しよう」とする。
正しいわけじゃない。
違うだけなのに。
この「良かれと思って正しい意見で矯正してあげようとする」考え方が、保守的な人にもリベラルな人にも同じようにある。
そこがすごく嫌い。はがゆい。
イベラルな意見には賛成できるけど、リベラルな人には賛同できないっていう人、かなりいるんじゃないかなぁ?
必死で「良い世の中」を作ろうとする、その必死さが
「ファシズムに対抗するためのファシズム」になるような気がしてる。
ほんとにむずかしい。
ぼくもすぐその罠にはまる。
いま、民主主義がギリギリなのはわかるし、本当だ。
でも、いきなり「カタカタ英語」とか「業界ことば」とかを話されると引くって人も多いんじゃないかなー?
それとおなじような感じを受ける。
どうしたらいいんだろうか?
否定しない世界をつくれたらいいとおもうなぁ。
という気持ちで書いた
「スイミーになろうとして」
小さな仲間がたくさん集まれば
大きな敵だって逃げ出すでしょう
小さな力をたくさん重ねたら
大きな力になるはずだから
僕らは集まって大きくなろう
大きな敵に立ち向かうために
こぼれ落ちてくる小さなカケラは
知らん顔して 知らん顔して
大きな敵は大きいかたまりか
みにくい隣人はほんとにみにくいのか
僕らのリーダーはほんとにリーダーか
小さなカケラはほんとにいらないのか
僕らは大勢で でも僕らはひとり
僕らはひとりずつ でもそれじゃ勝てない
大きなカタマリになるのなら
ひとりひとりのままなりたい
ジレンマ
ジレンマ
ジレンマ
誰かにイエスというんじゃなくて
誰かにノーというためじゃなくて
ジレンマ
ジレンマ
ジレンマ
スイミーになろうとして
スイミーになろうとして
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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