こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
昨日は萠珈と高倉周作のツーマン(に結果的になってしまったらしい)を見に行った。
桜桃忌LIVEにいけなかったぼくにとってはリターンマッチのようなすばらしいライブ。
自転車をぶっ飛ばして、アクアリウムへ。
高倉周作が歌っていた。
扉をあけてお金を払う瞬間からもう異次元に連れて行ってくれた。
アクアリウムの照明も、この二人にぴったりな演出で。
観客もまばらな火曜日の夜。
そりゃね。
色々仕事も大変よ(ぼくも合間を抜けて行った)
ほかにもイベントもあったろうよ。
でもね。
ギターの弾き語りをやってる人は、絶対「高倉周作」を観に来なきゃいけないよ(ああ、こういう言い方するの大嫌いだ笑)。
正確なストロークと、ひねりの効いたコード進行。
そういうテクニック的なところは、ちゃんと観て、盗もうよ。
手首の柔らかさ。緩急。
君のギターは(ぼくのギターも)「俺はまだ鳴れる」ってうじうじしてるよ。
すかん。
高倉周作のライブを見ると家に帰ってギターを練習したくなる。
歌はさ、もう全然かなわないから、いい(笑)。
ギターだ。
弾き語りギタリスト、もしくはアコースティックギタリストとして、絶対負けたくないし、100%負けてる(笑)
音楽は勝ち負けじゃない?
音楽はそうだよ。
でも技術は勝ち負けがあるんだよ。
高倉周作の歌いたい世界は狭い。
そして深い。
宇宙の果てから人のいとなみを見下ろしたり、光の入らない海底から闇を見上げたりする歌。
その歌を三次元にするためのテクニックを彼は持ってる。
萠珈。
最近は「イチナナライバー」として名を馳せてるようだけど。
彼女の持ち場はライブハウスだ。
- 逃避幸
- 冷夏
- 或るTEACHERの詩
- ラン・タ・タン
- おもちゃ箱
- 童謡
- 愛について
よかった。
ギターがなって、歌が直接(まあ、マイクを通してはいるんだけど)耳に入って、胸に落ちる。
スマホの画面の中ではぜったいに受け取れない情報量。
萠珈のライブが自転車で見に行ける距離に住んでるしあわせよ。
仄暗い水の中のよう。
セオリーを無視したコード進行。
アンバランスで不安定な世界を飾ることなく「言葉化」する。
高倉周作の歌は、どこをとっても「彼自身」が歌ってるように感じるけど、
萠珈は「バラバラに砕かれたちいさな萠珈のかけら」が歌ってるよう。
多重人格的っていうか。
どれも彼女の一部ではあるのだろうけど、全部ではない。彼女自身ではない。
何かを隠してるのか?それとも捨てながら歩いてるのか?
一つのことがらをじっと見て、あらゆる角度から素描し、一旦、萠珈スーパーコンピュータにインプットし、さらにダウンロードし、それを3Dプリンタに無理やりぶち込んで作ったようなうた。
不具合という煌めきと、バグというパッション。
ま、時々「ヒット曲かよ」なんていう曲もあるんだけど。
のみこんだ言葉を吐き出していくうちにガリガリに痩せていく彼女の骨が鳴る歌。
そんな緊張感あふれるステージの合間に、「浄化ドリンクコーナー」はしれっとやるし。
「くそったれ〜〜〜〜!」なんていうコール&レスポンス(ではない)もあるし。
ポップスとしての生き生きとした音楽と、芸術としての脈々と流れる主張が「バランス悪く」配置されてるセットリスト。
いつもは4曲のところ、6曲のお披露目。
でもさ、つまんない歌を何十分も自分勝手に歌うバカもいるこの世界だ。
もう一曲聞きたいよ。
そこで無理やりアンコールしてしまった。
怒号で。
ごめんね。
でもさ、なかなか聞けなくなってるやん?最近。
ここから遠いところでのライブが増えてるし。
せっかく高倉周作のツーマンなんだから、もうすこしだけ沈めて欲しい。あらぶる初老を鎮めてほしい。
「愛について」を。
歌詞が吹っ飛んだり、ピックが吹っ飛んだり。
そういう事柄を含めたものがライブだ。
無理やりアンコールさせられたりすることもきっとこれからあるだろう。(責任転嫁)
ほんとうに今日はありがとう。
もっとがんばらんといかん。
もっともっと尖らなきゃいかん。
わかりやすい言葉を鍛えよう。
イメージのふくらむ言葉を育てよう。
素晴らしい夜でした。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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