こんばんは。ブログアパート管理人にサニーです。
昨日は八幡のデルソルに妻と一緒に出かけました。
高橋プランクトンの横でギターを弾きに。
そしてかわいすぎるライブカフェ「デルソル」を妻に見せたくて。
- (OA)ヤマサキ
- 高橋プランクトン
- TARJEELING
- Kei Kumagawa
- 深居優治
- gn8mykitten
まあ、おそろしいラインナップ。
ライブレポートは後日。まだ、うまく言葉にできないので。
今日は昨日感じたことをいくつかのキーワードでまとまりなく書こうと思います。
音楽をやる為の準備
人前で何かをする。
そのためには練習をする。曲を書く人は書く。
生活の中から、もしくは架空の何かから「歌」をひねりだす。
楽器を練習する。
それだけじゃライブの準備は足らないってのを見せつけられた。
「赤点のテスト」を返されたようだ。
ある人は「40歳をすぎて、ステージでかっこよくあるためのあらゆることを考え、拾い上げ、参照し、実践する」といった。ステージでいかしたブギーをやるだけでなく、だ。
ある人は「おっさんがただ歌っても何もおもしろくないでしょう?」と言いのけた。
音楽だけでも目玉が飛び出るくらいすごいのに、だ。
「素敵な夜をあなたに」とか「乾杯しようぜ」っていうのも悪くない。嫌いだけど。
自分をさらけ出すと「ステージでのプレゼン」の重要さ。
そんなの当たり前以前のことやろ?という。
お前は準備してるのか?
お前はステージにいない時にステージを生きてるか?
そう突きつけられた時、僕は。
血が出るほど練習してる。
聞こえない耳をかっぽじく。
毎日だ。
でもそれじゃたりないのだ。
準備をして、始める。
それであってこそ、調和も崩壊も作品となる。
その人のやり方で、その人のやるべきことをやる
この日も「私にしかできないこと」を多くの人が歌った。
自分にしかできないことを探す時
「人と被ってないか」
を考える。「自分なりのやり方=自分だけのやりかた」だと勘違いしてしまう。
人と違うという「他人目線」を意識し、自分のやり方を歪めたり、切り離したり迎合したりする。
それが大きな間違いだと教えられた。
この日集まった人たちは、全員違う表現方法を取っていたけど、それは「人と違うこと」を狙ってるわけじゃない。
自分と対峙して、自分の武器で戦ってるだけ。
もちろん人の戦い方に敬意も表す。
羨ましくも感じるところもある。でもそれと「自分の表現は別」だと知ってる。
自分の武器はなんだろう?と考える時
- 自分だけが持ってるもの
- 他の人が持ってないもの
にとらわれる。
違うんよね。
自分と向き合い、描きたい何かがあり、それを描くのに必要な「自分の中にある武器」を使って描く。
その「武器と描き方」がその人のアートなんだ。
僕はほんとうにがっかりした。
自分自身に。
でもさ、がっかりしてても何も始まらない。
この人たちに「近づきたい」ってのとは違う。僕は「魔物」ではない。
僕はプランクトンの「叫び」も、タージリン先生の「声」も、深居くんの「湿度」も、ケイクマの「愛」も、グンナイの「言葉」も持っていない。
でも、「何も持っていない」わけじゃないはずだ。
彼らが持っているものは「彼らが探し、見つけ、鍛え上げた」もの。
僕が持っているなにかは「僕が探し、見つけ、鍛え上げなければ」現れないもの。
なにかを表現しようとする人でなくても、人は何か「自分だけの武器」をもってるはずだ。
でもそれを「探し、見つけ、鍛え上げる」かどうかで、変わる。
楽しいだけの旅ではないはずだ。
この日の出演者は「趣味」として音楽表現をやってるんだけど、そこに「楽しい」だけがあるようには思えなかった。苦渋も葛藤も壊血もあるはずだ。
今日もまた、できあがったばかりのかさぶたを剥がすのだ。
長くなった。
ライブレポも書かなきゃいかんとおもうし、ぜちさんと話をしたことで見つかったことや、高橋プランクトンのアレについてのことはまた今度。
【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019
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