信じたいものを信じるための「証拠」を集める毎日【自分を疑って、広く見ることの重要さ】

こんばんわ。ブログアパート管理人のサニーです。

 

ぼくはこうおもう、というと、それは違うという人がいる。
誰かの発言をみて「こいつなにもわかっちゃいないな」と思うことがある。

例えば原発。放射能。
体に影響がないことを科学的な「証拠」を根拠に「汚染水を飲んでもなんの問題もない」という人と、海外に比べて異常に高い許容値を問題にする人がいる。

例えば「放射能漏れが風評被害」と思いたい人にとっては、その意見を「確信」にしてくれるデータは山のようにある。それは「真実の一部」にはかわりないだろうけど、どこかを切り取って、トリミングしてる。

例えば「慰安婦なんてなかった」という人にも、「日本軍の虐殺なんてなかった」という人にも、その人に都合のいい証拠はある。

 

僕も多くを勉強してるわけではない。
書物やドラマ、映画がおしえてくれる多くのことは、多く見るだけ見識は広がる。
戦争の悲惨さも、逆にカタルシスも。
映画やものがたりが教えてくれる。

感情を、感性を育てるには物語が必要。
でも本当は「今生きてる世の中のリアルを感じるために」物語が必要なんじゃないかなぁ。

 

 

例えばニュースで「貧困家庭」のことが報道された時、
実際の当事者の気持ちや、担当した役所の人の気持ち、世界の中からみての制度の問題。それらいろんな視点で「現実を見る」ことのできる力は、
普段の生活の中で、どれだけ「取材をして書かれたもの」や「感情を込めて作られたもの」を見て、それを体内に落とし込んでるか?ってのが左右する気がする。

 

物語だけに閉じこもって、鍵をして生きるなら別だけど、人は「自分のこと」を中心として考えるのと同時に「誰かの考えや人生」を物語で体感することができる。

物語は書物でなくてもいい。
近しい友人の人生や、年上、年下、異性同性、さまざまな「知り合い」の物語でもいい。

 

物語を感じ、感じる心を育てた上で、現実を見る。
そうするといろんな複雑なことが「自分にとって嫌なこと」と「自分はそれが幸せだとおもうこと」に分けられると思う。

 

実際に放射能の被害にあってる人や、風評被害に苦しんでる人。
どちらも現実にいるし、僕はまだその人たちのリアルな人生をしらない。友達もいない。
だから、それ以外のことで「排他的にならずにいられる感性」を持っていたい。

 

 

この間、友人のフェイスブックでのこと。
その人はそのニュースに異議を唱えるために記事元をシェアした。
ところがある人が反対の意見を堂々と書き込み、さらにその人にとっての「確証」に基づいた反論が書かれた。
明らかに反対側の事実をまるきり読んでない書き方で。

友人はただ「あなたとは思想が違うので、その件に関してここで議論をする気はない」といい、その書き込んだ人は「ネット上での友人関係」を切った。

面と向かって話せば、なるほどねーっとなるか、殴り合うかどちらかになるだろう。
でも自分にとって都合のいい真実ばかりを集めると、世界は小さくなる。
僕もその罠によく落ちる。

 

反対の事実も知って、それをさらにもっと大きな世界で見て、それでも変わらないこと、変わらないものの考えは「肌で感じたこと」に基づくことが多い。
今の日常に息苦しさを感じてたり、生きるのが嫌になってるそのリアルな感じが思考の後見人になってる。

 

選挙結果や、会社などでよく聞く話からすると、僕はかなりの少数派だけど、僕の意見は僕の感じた「リアル」と、僕が知ってる物語と、僕の知ってる人たちの人生とでできている。
その組み合わせが違っていたら、今の考えはなかったかもしれない。

 

 

なんの話かわからん(笑)という人も多いでしょう。ぼくもよくはまとまってない。

 

ただ、自分にとって都合のいいことだけを集めて「証拠」として崇め、あらかじめトリミングされた「事実」が全てだと思うのは危険だなということ。
でも怒りや違和感を飲み込んで別の自分になる必要もないこと。

多数派と少数派に分断された今を健康に生き抜くためには、その二つが重要じゃないかなとおもうんだ。

 

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