迷いクジラの「この世界の泳ぎ方」【HAIGONIUMI】ファーストEPレコ発@六本松蔦屋

こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。

 

日曜日。
いろんな楽しそうなイベントを気力体力の衰えから(!)スルーした。
でも、「迷いクジラが近所に迷い込んでくる」というツイートを発見。
チャリで行く。

 

「迷いクジラ」
もう二年くらい見てないかも?グッナイと共演だったgigiからだから。
二人組だった迷いクジラはベースが入って3人になって、いまはひとり、らしい。

そのときの、迷いクジラ

 

 

キラキラしたギターと、曇り空に穴を開けるようなうたと。
よくある感じのツーピースにみえて、何かが確実に違う。
言葉にするのはとても難しいけど、張り詰めた何かと、大海原と。暗さと明るさが相対的に色を作る感じ。
聖歌でもあり、労働歌でもあるような。
人の湿り気と、低体温と、乾いた風と飛沫。
いろんな要素が回転盤のうえで転がるような。

センス、とか天性のっていう言葉は失礼だと思うから使わないけど、なんかとてつもないブライトネスがそこにある。

 

自転車にのって六本松へ下る途中、空が穴を開けていた。
この感じが、「迷いクジラ」だなあと、思った。

 

 

蔦屋に着くと、迷いクジラが到着してた。
すこし、やわらかくなっていた。

すこし、お話をした。
まあ、僕は一方的に喋ったかもしれない。
何しろ人見知りのコミュニケーションは、黙って笑ってるか、わーっと喋るかのどちらかだから。

 

歴史的名盤が壁を飾るその前で、ギターひとつ。
ものすごく緊張してた。

 

弾き語りでの迷いクジラを見るのは初めて。
「明るくないかもしれない」と本人はいってたけど。

輝きはそのままだった。
マイクに向かって歌うだけでで、周りの空気が「しゅわしゅわ〜」っと音を立ててイオン化するような。
あえて細い弦だけが鐘のように鳴らされる鎮魂歌。

ナチュラル、というのは少し違う。
自然の風や光や水を感じるのだけど、そこはさすが「迷ってる」だけあって、心地よさだけで癒すのじゃない。
人が土に立つ。
その足元の腐葉土と、その中の誰かの生活を踏んでる事実とか、
後ろにひろがる、圧倒的な山や海に対峙する人の心細さと尊さとを歌ってるように聞こえる。

心細さと、尊さ。

ウイークポイントとマジックポイント。

相反する強さと弱さ、無垢さと邪悪さを隣り合わせに座らさる力が、彼女の歌にはある。

 

 

ポップソングの多くは

  • 僕らは同じ
  • 僕も私も違う

この二つの軸で歌われることが多い。共感はプラス同士、マイナス同士で起きる感情だから。
でも迷いクジラは「私はこう感じる」と歌いながらも、いや、そうかもしれんけど、あ、やっぱちがうかもしれんと行きつ戻りつしてる気がする。
そこがすごくレアで生真面目で真摯。

  • キレイなサウンド
  • キレイなことばとメロディー
  • ステージ映えするルックス

三拍子揃っていながら「わーーー!」っとハッピーキレイな世界を表現するのじゃなくて
鏡の部屋に閉じ込められた姫が、自分と世界の間の壁を壊すのではなく、自分を粒子化して「壁抜け」するような。
そこにいるのに、一旦消えるようなうた。

 

 

二年くらい前に見たときの

  • 尖り
  • 苛立ち
  • それを自ら鎮める歌

の三角形で立ってた彼女とはすこし変わって見えた。
たぶん、いろんなことがあって、すこし変わったんだろう。
それか、彼女は変わらず、聴くものが変わったのかも。

 

いま、メンバーを募集しているらしく、たくさんの応募があるようだ。
この輝きに惹かれる音楽家たちが多いこと、すごくよくわかる。

彼女の歌は、多分他の楽器をも歌わせる。
聞いてるといろんなフレーズがずんずん湧いてくるから。すごくよくわかる。
僕だって応募したいくらいだ。

泥にまみれた崇高なこの道を、彼女は誰とあるくのだろうか?

ネクストステージが楽しみ。

 

【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019





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