ライトな笑いが、怒りをおさえて。その結果薄ら笑いで「まーしょうがねえよな」を繰り返す地獄

こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。

 

三年くらい続けてきた日記が、とうとうこのところダウン。
お仕事で24時間頭が沸騰してるからか、それとも飽きっぽさか。

日常を考えることがなくなってきたのかも。
余裕がないってのは「わな」だなあ。

 

で、桜を見る会よ。

と、いった時点で「あぁ、あれね、もういいんじゃない?(薄笑)」
っていうムード。

 

本質の公職選挙法とかの「法律違反」なはず。政権与党の首相の。
でもTVでは、

  • シュレッダー予約券疑惑とか
  • 5000円ホテルとか
  • 悪夢の民主党時代とか

そういう「冷笑」「嘲笑」で流されて行く気がする。

国家予算のほんの数パーセントでしかない「桜を見る会」なんて、とるにたらないなんてムードにもなってるし。
そんなの追求するのも税金の無駄づかいなんて声も。

 

政治家なら、多少は悪いことするもんでしょ?
いまは経済よくしてもらわないと

 

まあ、なんと物分かりのいい羊ちゃんたちでしょう。

 

 

稼ぎの多くを取って行かれて、その中の一部だけが本来の「共存共栄」のために使われ、そのほかは外国へのプレゼント代とか殺人のために使われる。
でも、「まあそんなもんよね」という。
きちんと教育されてきたんだなぁ。

言葉で、差別的視線で殴られて大きくなると、殴られなくても黙って屠殺場に自ら行っちゃうんだなぁ。

 

 

香港の血みどろのデモ。
報道されることは少ないけど、ニュアンスが「反抗するとこんな大変なことになる」「デモってやっぱ不毛だよね」って感じ。

デモは平和的に、とか。

それは民主主義が成熟したフランスやヨーロッパのこと。
まだ芽も生えてないアジア諸国には軋轢があるのはふつうで、大人な世界、デモを繰り返し大人になって行った世界が「大人の対応」をしてくれるとたすかるんだけど。

 

 

そうそう。薄笑いの話。
オチをもとめる話。「いいよねー」を強要する集団のなかで「柔らかく同調して生きる」ためには薄笑いってすごい防御になる。
なんとかその日はやっていけるから。
で、薄笑いを続けて行くうちに「もうどうでもいい」へと変化する気持ち。

 

とくに誰からも評価されないことを続けるのはほんとに疲弊する。

  • 読まれないブログ(笑)
  • 聞かれない歌

なんてね。

 

もう、歌なんか歌っててもなんの意味もないんじゃないか?
そう思うことが多くなった。

楽しいライブ告知をみて「よく楽しめるよな」なんて思うこともある。
自分も告知をするのが嫌になるときもある。
そもそも告知をしなくて怒られることが多い。

だってさ、僕が歌ったところで、なんにもならない。
楽しくもならないし(笑)
癒しにもならない。

 

でも、やらなきゃ気が済まないってことがある。
それはどんなにプレッシャーや抵抗が多くても、なんどもやめてはまたやっちゃう。
「やりたい」から。

いま絶滅しそうなほどこの国が弱っていても、そもそも「生きて何かをやりたい」という気持ちがないから、薄笑いで切りやりすごすのかもしれない。

やりたいことがあるから、やる!
と言ったその10秒後には
やったところでどうなる??
と迷う。

薄笑いがでてくる。
困った時に、やんわり逃げるための薄笑い。

 

 

人のためになる人間になれっていう呪いかもしれない。
子供の頃は「人のためになる」なんてことは考えたこともなかった。いまでも基本そうだけどやっぱり「人のためになる=いい人生」っていう刷り込みもある。

 

薄笑いをぜんぶ捨て去るのは難しいし、つらい。
でも、もう少しだけ「笑わずに世界を見る」ことをやりたい。

余裕あるふりなんていらないから。

 

【709号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2019





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