高橋プランクトンワンマンライブ@八幡デルソル【歌が生まれて、育って行く】

こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。

 

高橋プランクトンのワンマンライブに行ってきました。
妻と二人。2時間半のドライブののち。

開演にはすこーし間に合わなかった。

 

全部の曲を、できた順番にやる。
そういうライブ。

なんかすごいね。

きちんと生きながら曲を書いてないととてもできない。
人生の真横で歌を作り、歌うんだな彼は。
ほんとすごい。

東北への旅で彼が見たもの。
帰ってきて福岡で見たもの。
広島に行って見たもの。

どれもがそのまま純度の高いリアルさと、誰にでも伝わるやさしい日本語で歌われる。
奇跡のようだ。

彼とはときどき一緒に演奏してるので、知ってる曲がほぼ。
聴いたことない曲もあった。

 

僕が一番好きなのは

金はないから缶コーヒーをふたつ
時間はあるので朝まで公園で話す

そんなふたりが少しかわって

金はあるので缶コーヒーはビールになり
時間はないのでこのいっぱいで終わりにしよう

と、なる。
これだけで泣けるんだけど、さらに

でも変わらず夢を見てるんだ、となる。

 

こんなどこにでもある風景を、誰にでもある心情を、こんな短い歌で歌えるなんて。
ほんとすごい。

 

感じたままの事柄を、すこし、冷静に言葉にする。
怒りや悲しみをぶちまけるのではなく。
例えば「五七五」に当てはめる歌人のように。

パフォーマンスは激情だけど、作品が揺るがない普遍性を持つ。
こんな男を他に知らない。

 

それを知ってる人たちが、かれを見にくる。

発せられた歌を、それぞれが持ち帰る。
それぞれの人生に当てはめる。
彼の歌にはそうなる「すきま」がある。

歌は作った人のものじゃない
歌は聴いて、それに反応した人のもの。
だからこそ、誠実に作る。
そんな簡単なことが、ほんとうに難しい。

 

いま、窮地にある人。
かつて、窮地だった人。
かつて、痛めつけられた人。
かつて、もがいた人。

そうでない人がいるのだろうか?

 

そうだったことを忘れたり、いま、気づかないふりをしてるひとにも、ふと蘇る「痛み」があるはず。
そんなときに、彼の歌は、すっと発芽する。

ある種の礼拝のようなライブ。
宗教、という意味でなく「生命をそのまま楽しむ」ための。

 

プランクトンは実は、ものすごいテクニシャンだ。
コードストローク、ミュート。
音を出す。
歌詞を聞かせる。
その出入りをコントロールできる。
ぐちゃぐちゃになりながらも、クールだ。

もしかしたら彼は一度死んだのかもしれない。
生きねばならぬと歌うのは死んだことがあるからかもしれない。
熱く叫び、喉をしぼり、生爪をはがし、ギターを弾いていても、どこかで達観した彼が見ている。
もちろん彼にそんな余裕はないのかもしれないけど、ぼくにはそう見える。

無常の世界のような。
祇園精舎の鐘の音のような。

 

ロックンロール、という手垢のつきまくった言葉に再び力をくれる。
愛してるとは一言も言わないけれど、愛に溢れている。同じくらいのアイロニーも、だ。

 

僕は今、とても痛んでる。
窮地だ。
だからこそ、彼の歌を聴く。
自分のものとして聴く。

 

また、彼の隣でギターを弾くこともあるとおもう。
僕はまた、みんなのしらない彼の丸まった背中を見ながら、弾く。
こんな素敵なことはない。

 

 

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