こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
先日のライブで、ある人がこう言いました。
昨日知り合いと飲んでて
「結局野党は税金泥棒。なんの仕事もしていない」
「政治をやってるのは政府だけ」
といわれたらしい。
野党なんかなくてもいいと。
で、彼は
「でも政権批判したりするツイートが削除されたり、アカウント凍結されるのはどうかとおもうぜ」
と言ったそう。
すると知り合いは
「政府のあら捜しとか、揚げ足取りばっかりだったら消されてもしょうがないやろ!」
と言ったらしい。
消されてもしょうがない。か。
ひとはいろんな意見を持ってる。
野党は税金泥棒で揚げ足取りばかり。そういう風に言う人がいてもいいと思う(実際、そういう人が多いんよね)
どう感じようが自由だもん。
でもね
「政府に楯突く発言は消されてもしょうがない」とは絶対に思わない。
それを良しとする人は、自分の推しでない与党が生まれた時、自分の意見を発言することが許されなくてもいいってことだよね?
SNSやブログで、どんなバカな意見を言おうが、自由。
それに絡まって発言するのも自由(なんの得もなかっとしてもそうやりたかったんだろうから)。
でも「自由を手放せ」という意見には絶対反対だ。
民主主義なんてものはこの国では機能してないとおもうけど(どう思おうと勝手でしょ)
多数決で「多が正義」と教わって育つとそうなるのかなぁ。
頭がバカになるのかな?
多い意見を自分の意見だと思い込んで、「自分は正しい」と思う人のなんと多いことか。
誰かに統治された偽物の安住の地で生きることに「ほっとする」人のなんと多いこと。
正しい、間違いの二局でしかものを考えられず(考えてるとは言えないか笑)
いつも誰かの「正しい」に寄り添って生きてゆく人のなんと多いこと。
ちゃんちゃらおかしいぜ。
ちなみに、「文句ばっかり言ってる野党」の議員たちは
文句がある人から委任されて国会にいってるわけだから「文句を言うのが仕事」なんだ。
自民党議員が全員「憲法改正」を目指してるのと同じように。
100人にひとり文句のある人がいたら、100人の議員の中で「文句をいう仕事」の人が一人必要だ。
いまだったら100人に2〜30人は「文句をいう仕事」の人がいて当然。
この人の歌、全部好き!
この人の発言、全部共感する!
親の言うこと、全部正しい!
主人の言うこと、全部正義
疑おう。考えよう。
もう、無理なんだろうか。考えること。
中学校のころ、公共の福祉と言う言葉にすごくあこがれた。
PLOについて勉強して、全面的に賛同した。
蜂起に参加したいと思った。
いまはどうか?
当時より深くものを知って「100%はありえない」と学んだ。
誰かの意見に100%同調するってことは、自分なんかいなくていいってことだ。
強烈な自己否定だ。
テレビの報道、本屋に山積みの本、ネットニュース。
そんなのは一部でしかない。
裏を探ろう。
事実も、真実も、見方によって解釈が違うんだ。
庭先に鳥がいるとする。
これは事実。
でも報道は
- 弱った鳥が一羽、庭先で休んでる
- 平和な庭に、野鳥が侵入
- 国の天然記念物らしき鳥を発見
- 一羽の鳥が仲間を呼ぼうと鳴く
- 庭の風景を引き立てる美しい鳥の姿
いくらでも、できる。
その鳥をみることができる人は、現場にいる人だけだから
僕らは想像力を働かせて、いろんな角度からものを考えなきゃ。
現場にいないからこそ、冷静にものが見れる、考えられるっていうアドバンテージすらあると、僕は思う。
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