第14回斜め45度企画【作家としての東京ディスティニーランド】破堤せず渡りきる作品の橋

こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。

 

さて、東京さんだ。「斜め45度企画@gigi」のパート2です。

東京ディスティニーランドが名前を戻して斜め45度企画に帰ってきた。

名刺がわりの「遠いおやま」をやった後、
この日の出演者をネタに短い芝居を3つ。

コーチくんを題材にしたお芝居、サイコーやった。
そう言う風に、その場で起きたことを形にするところ、すごい好き。

対バンによって、何をやるかを変えたり、その日のセットリストを直前で変えたりするのがすき。
うまくいかないこともあるけど
それこそが「今日、ここにいる」証明になるんじゃないかなーと思ってる。
バンドとか誰かとやってる分には難しいけど、ソロの良さはそこかな〜。

 

ぼくちくは拡声器、ぼくは写真好きおっさんとして、しっかり楽しかった。
自分を反映したキャラクターが、誰か他の語り手によって話されるのってすごい楽しい

 

本編であるところの「酒井法子」

前にも何度か見た、お気に入り。
人は誰かの着ぐるみを被ってる。でも、その着ぐるみに侵食されるなよって感じの。

役者はキャラクターを演じる。
演じながら融合してゆく。
物語のために自分を消し、キャラクターになる。
ステージの上では「自分」はなくなる。

でも、ステージを降りたら着ぐるみを脱がないといけない。
東京さんは、きちんと脱げるようになったような気がする。

キャラクターが東京さんよりも、うえにあるから。
物語は破堤せずに進んでゆく。

 

いままで何度か見た東京さんのお芝居は、東京さんの炎がキャラクターを燃やし尽くして、それが意図せず(?)物語の核心に触れる、ということが度々あった。

それはとてもリスキーで、物語をブーストすることもあれば、打ち消してしまうことも。

 

じっとこっちを見てる。自動販売機の間から

 

こないだ見たサリンジャーの映画で

「作者の声が、物語を超えてはならない。物語のみが永遠だから」

というのがあって、僕の心をずっと揺さぶっている。

 

詩人は、血を流し、生き様を「詩」に昇華させるべき。
でもストーリーテラーは「ストーリー」を「伝える」ことが一番じゃないか?
作家は、自分の作り出した物語にひれ伏すべきではないか?

 

今回の東京さんの「酒井法子」は、少し「物語」が強くなっていた気がする。
東京さんは時々ブーストをかけるけど、でも、行き過ぎない。
役者の、演技の気持ち良さをしっかり押さえ込んで、物語に込めた思いをぐっと凝縮させていた。

東京さんでなければありえないこの物語が、他の人の手に渡ってもきっと強く残るだろうと、そんな気がした。

 

作られたキャラクターたちの、おいてけぼりにされる悲しみや
芝居やライブを見にきた人が、置いて帰るどすぐろいもの。代わりに持って帰る美しいもの。
この場所でこのお芝居を体感することで変わる人生の方法(ほら、たった0.0000002度くらい変わっても、たどり着く先が全く変わってしまうでしょ?)とか

 

ぐっと強く、凝縮されて。
淡々と進むことで、こちらの心に残る。
芝居のエネルギーを、気持ちのいい爆発を「見て消化」してしまわずに、燃えかすを持って帰ることができる。
これが素晴らしいバランスで。

とはいえラストは素晴らしいストリップで終わるんだ。

 

サービスと、伝承を最良のバランスで投げかける東京さん。
これからもずっとずっと見たいと思った。

 

今日の海賊たち

 

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