急に僕の中で始まった「チャン・ツィイー」祭り。
いつも繰り返し見る「2046」「グランドマスター」とはちょっと違ったのを見てみようと借りてきたのが「ジャスミンの花開く」。
例によってネタバレはないのでご安心を。
1930年代から1980年代の上海を舞台に、章子怡(チャン・ツィイー)が三世代、一人三役を演じる。
時代の変化、街角の風景の変化の中でずっとそこにある写真館を中心とした母(ジョアン・チェン@ツインピークス!)と娘(チャン・ツィイー)の話。
まるっきり男運がない女の子がチャン・ツィイー。わがままで、意地っ張りな小娘を演らせたら最高だね、彼女。
映画で描かれる対比は
人生のハイシーズン、オフシーズン。若さと老い。
ブルジョアと労働者。
一番違うのは男と女。
娘は母になり、また娘を持つ。
で、世代が変わっても演じるのは「母はジョアン・チェン」「娘はチャン・ツィイー」
これが成功してる。
どんな時も母は娘を気遣い、自分の尺度で測り、文句を言う。
幸せになってくれ、と。
娘は反抗し、いらだち、家を出て行く。
でもうまくいかず戻ってくる。
このルーティーンの描き方描き方がベタベタに暗く悲しいものじゃなく、男をバカ扱いして描くことで、少し柔らかく、笑えるものになってる気がする。
子供は、娘は、母親からしか生まれない。
父親が誰であろうが。
受け継がれていくのは女から女への歴史。
人類史は結局、たったそれだけ。
男は歴史の中に存在しない。したとしても、軽いゲスト扱い。
男が歴史のなかに存在しないことに気がつかれまいとして、女は男に「家長」の椅子を与える。
愛を注ぐ。
でもそれは大きな宇宙の中で、観葉植物に水をやる程度のこと。
その愛の注ぎ方を時々間違ったりするけど。
水を注ぐのはいつも、女。
なるようになる。ケセラセラ。
それは主役であり、歴史の舵取りをする女のセリフ。
だって僕らが生まれるか、生まれないかは「女の手」に委ねられてるんだから。
襟のたったチャイナドレスが何よりも大好きな僕にはたまらなく甘い映画だった。
グリーンが綺麗。
こんな色のある時代、いいな。
ウォン・カーウァイの「2046」でも執拗にチャン・ツィイーの首と腰(胸ではない)が主張しまくっていたけど。美しい。
チャイナドレスが1日も早く、ゲームの女戦士や飲み屋さんのコスプレから返還されますように。
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