かすかな希望の灯が消えて、真っ暗になった恭子と友彦二人の日々。
限りある命のプレッシャーに耐えるのは意味のないことに思える。一週間後に3回目の「提供」を控え、友彦は心を整理できずに、すべてをなかったことにしようとする。
楽しかった思い出や大切な宝物は、すべてが敗北の印に見える。
希望に向かって全力で走ってきたからこそ、すべてが無に見える。負けをみとめるくらいなら、人生という「試合」があったことを消し去りたい。
宝箱も、絵も、二人の関係も。もう苦しいだけ。なかったことにしたい。
逃げることは最大の防御に思えた。
でも恭子は違う。
二人で過ごした日々。過ごせなかった日々。その時間すべては大切な思い出だ。
確かにそこにあった記憶だ。
提供されて生き延びた人からの感謝の言葉。「生まれてきてくれてありがとう」
臓器を提供する。命を奪われる人たちにとって、命を奪っていく「母なる外の人達」が最終話では強く描かれる。
それはせめてもの償い?「ありがとう」という言葉が何になる?
龍子先生との再会や、サッカーの試合のエピソードは今更感の強い話の展開。ロマンティックに浸りたい人には余計なエピソードだったと思う。その気持ちもわかる。
死にゆく者への同情だけですっきりと物語を終わらせることもできたかもしれない。
でも、
奪うものである僕らの目線を、イヤミでもなんでも足すことが「多様性」とも言える。
臓器をもらい、命をもらう。その後の人生をどう生きるか?
提供者がいることを知らない人も、提供を受けたことを言いたく人もいる。という。
知って感謝をする人も、誰かの命を奪って生きることを認識したがらない人もいる。
その痛みの中で生きる。
生きている限り、心の痛みが消えることはないだろう。
でも、だからこそ。
生きてることは素晴らしい。誰かの命と引き換えにしてもそう思えなければ、辛い。
生きたいという欲求と、もうそこまでしなくてもという気持ち
若い命と、年老いた命。
どちらも同じ価値があるのだろうか?誰かの命を奪う価値が?
「提供を希望しますか?」と聞かれる元陽光の園長。
生き抜いてきて、叶わなかったことだらけだった彼女は、あと数年寿命を引き延ばすための手術を受けようとしない。奪われるものの辛さを知ってるから?
それだけじゃない気がする。
人の欲望は計り知れない。
臓器提供を受ければ苦しみから逃れられる。そう信じてこの「クローン計画」は始められ、続けられているのだけど。
「人は苦しみから逃れられない」
そんな風に思ったのじゃないだろうか?少なくとも僕はそう思う。20~30代の頃とはちょっと変わった。
苦しみと共にあるなら、自分に与えられた「生の時間」をしっかり楽しまなきゃ、罪だ。
そう思うようになった。
友彦のサッカーボールは、恭子を思いとどまらせたの?それとも、誘いに来たの?
印象的なラストシーン。
友達はすべて終わりを遂げたのに、自分にはまだ提供の知らせが来ない。
思い出の詰まったカゴはもう、いっぱいになってしまった。これ以上、思い出と共に生き抜くことに何の意味があるの?
恭子は自分の命を終わらせようと海へ入る。失ったものが流れ着く「のぞみが崎」で。
彼女の足元に、友彦の使っていたサッカーボールが流れ着く。
友彦の死後「彼の代わりに広い世界を見るために」海に流れていったサッカーボールが。
よせては返す波に乗って、彼女の足元で友彦がドリブルするかのように。
そのボールが友彦からのメッセージだとしたら
- 早く彼女に来て欲しかったの?
- それとももっと生きて、自分たちの記憶を背負う苦しい人生を送って欲しかったの?
どちらとも取れるでしょ?
- 「もういいよ。今までありがとう。苦しかったね」
- 「生きるんだ。命の限り。」
裏と表のメッセージ。
メッセージは受け取る側のものなんだ。恭子は「苦しくとも生きる」方を選んだ。
不思議な「収まりの悪さ」を感じる、豊かなラストシーン。
この後彼女に提供通知は来るんだろうか?それとも元園長のように、長い生を痛みと喜びを抱えて生きるのか。
疲れ切って楽しい週末を迎える金曜日の夜。
この数週間は本当に辛かった。
生きていてもいいんだろうか?生きるってことはここまで直接的ではなくても、よその土地の水を汚し、よその土地の飢えを誘い、よその土地の子供の未来を奪い、よその土地の森を焼く。
これは事実。
僕らが生きるためには誰かが命を落としている。数多くの動物たちが殺されてる。
僕らは生きてていいのだろうか?
その思いにとらわれるから、誰にもオススメできなかった「わたしを離さないで」。
視聴率が悪かったのは、入り込んで見れば見るほどツラいからだと思う。
特に美和の死のエピソード以降は、このドラマを見たくなかった。
生きていることを責められるようで。
この記事を書くために何とか見てるような、そんな感じ。
でも、世界がそうあっても、僕らは痛みを抱えて生きなきゃいけない。
そして痛みを抱えてる以上に喜びを抱えてること忘れちゃいけない。
喜ぶために人生はある。耐え忍ぶためにあるんじゃない。
恭子が生きる方のカードを選択したように、僕らもそうしたい。
思い出は美しすぎるから、ついつい「昔は良かった」って思っちゃうけど、続いてる「今」はその思い出をさらに美しくするためにある。
ドラマからどんなメッセージを受け取るか。それは作り手の問題じゃなく、受け手の自由だ。
僕はそんな風に受け取った。
この感想は、ドラマを見た何万人かの中のひとつでしかない。
ドラマとドラマの間に入るコマーシャルで綾瀬はるかが元気でコミカルで、水川あさみもしずかちゃんで、ようやく「あ、これはフィクションだった」って我にかえってた(笑)
こんな「見たくないドラマ」を最後まで根気よく、覚悟を持って作り上げたスタッフさんや、スポンサーの方々にしか見えない世界があるんだろうな。
ありがとうございました。
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