シン・ゴジラ:いやあ。怖いっすよ。きもいっすよ。
ゴジラ映画で育った僕ら昭和40年選手から見ると、今回の「シン・ゴジラ」は僕らのお父さん世代の、本当のマジ怖いゴジラの流れを組んだもので。
ゴジラに感情移入するべきシーンがまったくない!
死んだ目で気色の悪いゲロゲロ生物。
出てきた理由もないし
(そりゃ生まれば僕らの捨てた核廃棄物なんだけど)
ただ、ドワーン!と現れて
どんどん壊して
海に帰って
またあわられて
どんどん壊して・・・・
ていうシンプルなお話。
とにかく怖いんよ。
ものが壊れるのがすごい迫力とか、自衛隊の攻撃がすごい迫力とかあるけど、とにかくこんな怖い顔のゴジラは初めて。
こわくてでかい。
シン・ゴジラ:群像喜劇のキレキレで、前半涙出るほど笑った。
映画は官僚システムを馬鹿にしてる。
でも、そこで働く人たちを馬鹿にしてない。
喜劇のセンスはそこにある。
発言とか、誰も猫に鈴をつけようとしない描写は「システム」のバカバカしさを追求する。
縦割り社会と、この国のトップを操ろうとするそれぞれの思惑と。
面白い。大喜利か!ってくらい笑える序盤。
でも、ゴジラが上陸して川を遡るシーンの「災害度」はレッドゾーン。
東北大震災を下地にしてるのがわかりすぎて。ツラい。
ゴジラは自然災害で、害獣で。駆除対象。
海から(巨大な)害獣がやってきてるから、大きな火器で駆除しようとあたふたする人間劇だ。
シン・ゴジラ:音楽はエヴァンゲリオン。画面のざわざわはラブ&ポップ
つまり、庵野監督はいいところもゲスなところも、何十年経っても変わらない。
いつまでもできない(?)国民病エヴァンゲリオンの風呂敷をたたむのに疲れて「歩で休み」をとったつもりかもしれない。
ゴジラは自然災害で、僕らが慣れ親しんだ「怪獣」ではない。
それが「パシフィックリム」と違うところ。
ゴジラを呼称はつけても、「事故扱い」なのがシン・ゴジラ。僕らの「怪獣映画」ではない。
じゃあいつものようにハイセンスな教養高い人にしか本当の意味がわからない「お高くとまった映画」なのか?というと、とんでもない。
戦闘シーンのカタルシス。
ゴジラの炎。
放射能光線。
どれも今まで見たゴジラの中で一番。全面的に大好きなハリウッドのゴジラよりも、もっと。
ゴジラを本気で倒そうとする。
日本政府の本気度が違う。
シン・ゴジラ:国の方針や政治は庶民とは関係ない
怪獣映画には思い入れを増すために、何の役にも立たない市民がストーリーに参加することがある。映画を見てる僕らの代弁者のように。
このシン・ゴジラには庶民はほとんど出てこない。
避難してるか
避難所で膝を抱えてるか、だ。
被害者は「数字」でのみ語られる。
戦って死んでるのはほとんどが自衛官や兵士。
これが今のリアル。2016年のリアル。
戦闘は僕ら庶民の手の届かないところで決まるのは当たり前。
御用学者が役に立たなかろうが、意味があるのかないのかわからない会議を重ねて、保身に走りもするが方針を決め、命令に従って人は動く。それが組織。
そこがすごくよく書けていて、気持ちがいい。
災害(天災でも、人災でも)が起きれば、僕らは逃げ惑うだけだ。
人が描かれていないという批判があるようだけど、国の大災害に立ち向かうには「人間性」とは少しニュアンスの違う人間力が必要じゃないのかな?
「やる気」を削ぐような会議、書類、縦割り行政。
正義感や情熱では泳いでいけない世界。
でもそのハードルを越えていくような強い気持ちがないと事は前に進まない。
やる気をふるいにかけるために、会議はある。
シン・ゴジラ:オールスターキャストを贅沢に使ったのも正解
まあ、いろんな人が、出てる出てる。ほとんどワンシーンに近い役柄にも。
それが「役者の個性」が立ちすぎるのを抑えていて、いい。
アメリカが多国籍軍の皮を被って攻撃したがるのもすごくよくわかるし、フランスや中国・ロシアの描写も面白い。
石原さとみはさすが英会話教室で学んでる(笑)
長谷川博己は今一番輝くスターだし。
渋みを増した竹野内豊も美しい。
シン・ゴジラ。
期待してなかったから得点は甘いかもしれないけど。
すごく楽しめた2時間。
ただ、現実のゴジラはまだそこにある。
再稼働を待っている。
放射能を垂れ流しながら。
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