REBOCCO(REBECCA)@UTEROコピバンNIGHT:あの時、確かに君はそこにいた

こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
体調絶不調の中、ユーテロに撮影にきました。

数々の伝説を生み出し続ける牧畜業者の歌うレベッカのコピバン「REBOCCO」です。

 

REBOCCO@UTEROコピバンNIGHT:80年代は夢のよう

1965年生まれの僕にとって、1980年代は高校〜一瞬大学〜偽社会人という「若き日々」。

ニセモノのパールやなんかをジャラジャラつけてマドンナが歌い、マイケルが叫び、プリンスが飛び。洋楽の洗礼がテレビからやってきた中生まれたのが、今ではJPOPと呼ばれる「洋楽を殴り返すメイドインジャパンのポップス」だったと思う。

その中でもレベッカはトップクラス。マドンナに対峙して、そのまんま剥ぎ取って自分たちのものにして、この島国を躍らせた。

 

牧畜が何歳なのかよく知らないけど、レベッカの時代、彼女はオンタイムで知らないんじゃないかな?わかんないけど。

80年代後半っていうのは、何か「魔が差した」かのように音楽が生活に溢れ出してきてた。
レコード会社がバックアップする音楽番組があったし( EZ?だったか?)あちこちで日本のバンドフェス的なものがあってた。

キラキラした、高揚感と。
蛍光色のスパッツと。
肩幅の広いスーツと。
ニセモノの豪華さと。
何よりも「明日は必ずいい日になる」っていう根拠のない明るさがあった。

 

そんな「時代の空気」を研究し尽くして、牧畜とメンバーはステージにいた。
レベッカがそうだったように、プロフェッショナルなサウンドを生み出すべく。

 

 

REBOCCO@UTEROコピバンNIGHT:いきなりのカメラトラブル

先日はユーミンだった牧畜がどんな風にNOKKOなのか?
ワクワクで待ってた。

予備も合わせて2台のiphoneで。

事前確認のために少し録画してみる。
問題ない。

一度電源を切る。

SEが始まったので、録画ボタンを押す。
あれ?画面がひっくり返ったまま。
一度録画止めて、手で降って、もう一度。
だめだ。

演奏が始まる。仕方ない。
もう一台のiphoneに変えて録画ボタンを押す。
反応しない。

あれ?やばい。

何度か押す。iphone自体フリーズしてる。
一度アプリを全て終わらせてもう一度。
なんとか録画が始まった。

痛恨のミス。申し訳ない。

 

取り始めてからは曲を聴きながら

ここでこうやるはず。
ここはこのメンバーを。
ここでは客席からの反転NOKKOアップで

 

とか、いろいろ考えながら。
中腰の移動。同じ形でカメラを持ったままの30分で親指が元に戻らない(笑)

 

REBOCCO@UTEROコピバンNIGHT:客席の期待に180%応えるために

たったの30分。
これにかけるメンバーの、牧畜の想いはどれほどか。

牧畜とはノスタルジアと言うバンドで一緒に演奏した。
彼女の妥協なき姿勢と、そこに集まる凄腕たちの中、ぽつねんと僕はいた(笑)

ステージのパフォーマンスは氷山の一角。
それまでの仕込み、訓練、こだわりぬいた取捨選択を彼女は一人で引き受ける。
その上で、さらに上を目指す。
選ばれたメンバーとともに。
牧畜にメンバーに選ばれるってことは光栄でもあり、ギャンブルでもある。

 

観客席では演奏が始まった途端の「空気の変わり方」に反応した人たちが大騒ぎ。
手を振り上げ、叫び、泣いていた。

 

NOKKOステップを踏み続け、化け物級のボーカルに近づけようと身体中のエンジンをふかす牧畜。
レベッカは、80年代は、あの腰とステップと、腕の動き。
「なりきる」だけじゃなく、その時代の汐留に、インクスティック芝浦ファクトリーに僕らを連れて行ってくれた。

観客の頭の中でそれぞれに鳴ってるレベッカをハイレゾで再生させるために全身全霊で歌い踊る。
そりゃ、みんな泣くよ。

僕だって取りながらモノトーンボーイのイントロで涙流れた。

 

REBOCCO@UTEROコピバンNIGHT:年をとるってこと

残念なことに、この日ここにいなかった人たちには、僕が撮った映像がどこかで公開されるかもしれないので、是非見るように(笑)。

もうすぐ53歳のモノトーン爺が体ガタガタな中、撮った映像を。

お客さん。
ライブの邪魔してごめんね。

 

 

轟音のライブハウスはもうあまりこなくなった。
片耳がほとんど聞こえないので。

でも、ここに来ると、数年前の知り合い(ハラジリくんなんて多分10年以上)が、僕のことを覚えてくれていて「サニーさん久しぶり」って言ってくれる。

僕が今生きてる気がするのは、今まで生きてきてたんだって感じることができるのは、そういう人たちが周りにいるから。

初めて見たときより、少し丸くなった、とげが無くなった彼らを見ながら「年をとる」ってことを考えた。

こうやって好きなことを続けて、集えて、解散して、また集えて。
その祭りが永遠に続くことはないことは知ってるけれど、「再会」を願い別れることはできる。いつまでもそれが続きますように。

 

80年代は夢のよう。2018年はどうか?
夢の続きを見ていたい。
これからもずっと。
誰にも邪魔されずに。

 

全力で何かをやり、それを見て感動して笑い、泣く。
「人が人である」ってことは、そういうことじゃないかな。

(ライブ写真は全て、動画からのスクリーンショットです。)

 

この記事を書いたのは

【704号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2018

 

 

 





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