こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。斜め45度企画レポートその2は。「東京ディスティニーランド」について。
斜め45度企画は東京ディスティニーランドとともに。
トリを務める「東京さん」
いつもぶん殴られては抱きしめられるような。
今日はまた特に、そうだった。
愛の話なんてしてねえよと大爆発しまくる。
パンツを脱ぎ、客席に投げる。
愛して愛して愛して。
表現を突き詰めて突き詰めて。
その「毒という名の夢」のかけらを持った人たちにとっては、咲かせたくない花が胸の奥で咲くような。
見たくなくて隠してるものをひっくり返されるような気持ちになる。気づかずに生きていければよかった。けど、気づいた人がこの会場gigiに集まっていた。
最初のお芝居はいつもと違っていた。セリフが全部「紙」に書かれていた。歌わない歌姫の話。ユーモア届くと陰部を交えながら。
僕らは口から言葉を吐く。
言葉は消えていく。
でもそれが消えずにここに残ったら、こんな景色になるんだ。
自分の吐き出した言葉のかけらを抱きしめるラストに、涙が出た。
自分の言葉と対峙するのは、白くて綺麗な陰部を晒すより恥ずかしく、つらい。
爆発して人を傷つけて、それがブーメランのように飛んでくる。帰ってくる。
一面、血だらけだ。
ステージでの東京ディスティニーランドは狂ってるんじゃなくて、僕らの持ってる純粋な部分を代わりにクリアに提示してるだけ。
暴力と愛。
愛と暴力。
裏と表ではなく、複雑に混じり合っている。
見る方向が違えば「愛」にも「暴力」にもなる。見える。
今ここで全てが無くなったとしたら、ここは、ここにいる人たちの夢のお墓だ。
初めて見る「幽霊はじめました」は、「世界の果て」の暴風雨の後に、しみた。
物語は語られていく。
歌は歌われていく。
作った人がどう思おうと。生まれた作品は「誰かの記憶の中」に忍び込んでまたどこかで生まれなおす。
前回は「語られなかった物語について」で、今回は「語られ続けることで残る怨念について」のお話。つまり僕らは、「斜め45度企画」をずっとずっと見続けなきゃいけないってこと。
東京ディスティニーランドは自分を殴りまくる。
その痛みが見てるものに伝わるまで。
自分で笛を吹けば、どんな物語も終わらせることができるというシステム。
自分が笛を吹くまで終われない。
ステージが終わってヘトヘトになってる東京さんを捕まえて。
いつまでも彼が大好き。
【704号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2018
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