こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
ツイッターのことをいろいろ考えている時に、「さて、いつから始めたんだっけ?」って思った。
ので、調べてみた。
どういう経緯で始めたのかは忘れてしまったけれど「ツイッター」をはじめたのは2009年の事。「@〜〜」から始まったってことは、誰か宛のつぶやきか、つぶやき返しだっったようだ。
ほぼ10年。
前職の会社に就職したのが2011年で、「木馬からボニータへ。新年のごあいさつ。マスターに、就職するやろねーと思いよったって言われた」なんて書いてある。
最近木馬にもボニータにも行けてない・・・。
全ツイート履歴をダウンロードしてみてわかるのは、「始めた当初は会話ツールとして、そしてすぐに『ただのつぶやき』になった」ってこと。
SNSのもう一本の柱フェイスブックに関してはまた別に書くとして。
「10年使ってみてわかった俺のツイッター」というテーマで今日はお送りします。
ツイッター。144文字で好きなことをつぶやく。
文字どおりつぶやきから始まったはず。
公共の広場にいるつもりはなくて、知ってる誰かの話に反応したり、流れてきたニュースに感想を付け足して紹介したり。
つまりは部屋での独り言+チャットやメール機能だ。
ぼやき、嘆き、喜び、時々話しかける、話しかけられる。
ある時から、拡散ツールの意味合いが強くなった。
いいねがいくつもらえたとか、いツイートされたとか。
僕は未だにあまり気にしてないんだけど、(あ、このブログの記事に関してはすごく気にしてる。たくさんの人に読んで欲しい!と言うよりも、どういう種類の記事が拡散されやすいか?とか気になる)
自分の意見を雑踏の中で言うような雰囲気になった。
誰かの発言が気になるようになった。
炎上っていうのも頻繁に起きてきた。
個人的なツールがうねりを持ち始めて、ソーシャル担った。メールやメッセージで住むことを、みんなの見えるところで会話したりするようになった。
誰かが「みんなが露出狂になった」って言ってた。
- 何も食べたくない
- 頭痛い
- はらたつ
- 安倍やめろ
- 会社行きたくない
吐き出しては空気に紛れるはずだったつぶやきが、文字として残ることで、「一瞬の快楽=暇つぶしのつぶやき」が「永遠に生きる悪意=ヘイトフォーエバー」になってしまう。
つぶやきが検索しやすいように(何のためだろう??)ハッシュタグの登場も、意見のぐるぐるバットに拍車をかける。
- 味方は誰?
- 敵はどいつ?
すごくわかりやすい旗を立て、集い、争い、荒らすようになった。
ソーシャルなんだから当然だ!と横入りやイチャモンや余計なお世話が横行し、粘着絡みやらマウンテング罵倒や口論を巻き込み、スマホの画面からまるで貞子のように呪いを振りまくようになった。
個人のつぶやきだからほっといて!と言うとソーシャルの意味がわかってない!と怒られる。じゃあ使わなきゃいいじゃんってなるけど、ブログを書いてる身とすれば「こんなこと書きました」って多くの人に伝えたいしなぁ。
難しい。
ある若者から
今はツイートはつぶやくだけでチェックしない。
ほとんど全員ミュートしてる。
一番使うのはインスタのストーリー(消えるからって言われたけど、意味がわからない)
フェイスブックは年寄りくさいから見ない
って、聞いた。
mixiから本格的に始まった(と、僕は思う)ネットコミュニケーションは、ライングループのよに地下に潜り、ミュートされたニュースで「自分の気に入ったもの」しか見なくなり、「他の意見」には目もくれないか趣味で罵倒する。
1990年代の統括っていう本で読んだけど「世の中全てが小選挙区制」化してるなあと思う。小さな範囲で一番の意見のみ「声」として取り上げられる。
広い範囲で上位3つくらいの違った意見が拾われる社会ではなくなった。
白か、黒か。
つぶやいたぼやきに共感したり、ムッとしたりしながらも「ほっておく」「ほっとかれる」自由な空気はなくなった。閉塞する未来。
でもきっとまた新しい風が吹いて、人はあっという間に乗り換えるんだろう。
【704号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2018
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