こんばんは。ブログアパート管理人のサニーです。
ある日ツイッターで面白いつぶやきが二つ並んで表示された。
- 「お母さんに褒めてもらいたかった子供の記事」
- 「褒める教育が社会に出た時のギャップを大きくする」
というもの。
いつ頃からかな?「褒める」ってのが重要だって言われはじめた。僕は自分の息子をあまり褒めなかったけど(笑)
いいとこを見つけて、褒める。
すごくいいことのように聞こえる。
あ、
悪いところを見つけて、責める。
よりかは何百倍もいいと思う。
だって褒められたいもん。褒められると嬉しいし、嬉しいとやる気になる。
でも必要以上に褒めるとどうなるんだろうか?
「褒める」は甘い果実。もっともっと欲しくなる。本当はそれがやりたかったのかどうかわからなくなっても「褒められたい!」という欲求は大きく深くなる。
楽しいことを見つける=褒められることをする
では決してないと思うんだけど。
自分探し=自分の中の褒めら得るところを探す
では決してないと思うんだけど。
褒められなくなったら?
注目を集められなくなったら?
褒められるどころか叱られたら?
「褒められる」を中心に置くと「失敗」は許されない。実際にはなんども失敗しないと成功しないとは思うけど。
「褒められないこと」を避けていくとどうなるんだろう?
思考は最大公約数に寄り、「同じでーす」に傾いてくるかも。失敗が目立たないように。
例えば学校に個性的な子がいたとして。
その子を褒めるとどうなるか?
- 他の大多数の子は褒められない
- 褒められたいばかりに、他の大多数の子が「個性的な子の真似をする」
- 全体主義、連帯責任を教える学校にとっては不利益になる
- 個性的でない、模範的な子を褒める
- 褒められたいばかりに、他の大多数の子が「模範的な子の真似をする」
何が「模範的」かどうかを決めるのは学校。
ということは組織にとって都合のいい模範者を一人作って、その人を褒めたらいい。すごい簡単な人材育成法。
そこに「褒め方の上手な詐欺師」が出てきたら?
褒められるために頑張っちゃうんじゃないだろうか?
誰かのためにとか、世界のためにとか、祖国のためにとか。
「褒められないストレス」を、さらに褒められない人に向けることによってスッキリしたり、
「褒めてくれる?」と上目遣いで確認したりしちゃわないだろうか?
- 違う意見もあっていいよ
- 自分の考えを押し付けちゃダメだよ
- 意見が違うからといって排除しちゃダメだよ
こうすると誰もが「褒められる」ということに向かわなくても生きていける気がするなぁ。
あと、意見を持ってると「戦わせたく」なることが多いよね。自分の正義とか常識と照らし合わせて。でもさ、政治的なことなら意見を発表する機会「投票権」も与えられてるし、勉強もできる。
だからと言って違う考え方の人と「争わなくてもいい」と思う。「意見をしっかり持つ」ということと、「違う考えの人と戦う」は全然違うとこと。
意見交換は楽しいけど、それは互いを否定し合うものじゃない。見識を広めること。そういう風に考える人もいるんだなぁと。
褒めることも大切だけど「褒められなくてもいい」ってこと、とても大切だと思う。
親にあんまり褒められたり、子供を褒めたりしたことない僕が思うのはそんなこと。
僕や息子が「立派」に成長してるかは謎だけど(笑)
【704号室】ガーリーおじちゃんはまったく役に立たない2018
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